江戸城内における刃傷事件・其の5 | テンカス・気まぐれ1人旅

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城をはじめ、名所、旧跡巡りが好きです。
最近は歴史にも興味があり、いろいろ調べ
気になった所をまとめ載せていきます。
よかったら覗いてみてください。

田沼意次事件


午後二時頃、

老中や若年寄りは退出しはじめ、

大田備前守資愛(すけなる)に続いて、

沼山城守意次と米倉丹後主昌晴が

連れ立って御用談所を出て

中の間にさしかかった。


当直日で詰めていた新御番三番組の

佐野善左衛門政言は、素早く立ち上がり、

やや抑えた声で「申し上げます、申し上げます」

と後を追い、中の間の中央に進んだとき

「覚えがあろう」と叫んで、

二尺一寸の忠綱の小刀で意次の

肩口から背にかけて斬りつけた。


さらにたたみ込んでニの太刀を浴びせた。

やはりあわてていたのか刀は急所を外れた。


田沼は桔梗の間の方へ逃げたが善左衛門は

邪魔をする米倉丹後主昌晴を突き倒して、

田沼に追いすがり、後ろから両脚をなぎ払った。


田沼は縁側に倒れた。

善左衛門は上から乗りかかって

股のあたりを突き、最後の

とどめをさ刺そうとした時、

背後から松平対馬守に羽交締めにされ、

さらに他の二、三人によって組みつかれて、

脇差をもぎ取られた。


田沼は致命傷を負ってはいなかったが、

出血が六、七時間も続いて、

三日後の三月二十六日に死去した。


善左衛門は伝馬町の座敷牢に入れられ、

四月四日に切腹を命ぜられた。


原因は田沼の佐藤家の系図を

横領しようと謀ったことにある。


田沼家は当時並び泣き権勢を誇っていたが、

もとは佐野の系図筋にあたり、

家に箔をつけるため、

佐野家の系図が欲しかった。


そこで佐野の分家の旗本佐野亀之助を通じて

借り出し、亀之助だけは御子納戸の取立てておき、

系図は返済を迫っても返そうとしなかった。


善左衛門は抑え切れず、

遂に刃傷に及んだのである。


江戸庶民のあいだでは、善左衛門の行為を

喜ぶ風潮が強く、「世直し大明神」と奉り、

遺骸の埋められた浅草徳本寺に

香煙が絶えなかった。


一方の田沼の葬儀は惨めで、

葬列には悪口雑言をあびせ、

石を投ずる者もいた。


田沼意次の勢力も、これ以来急速に

下り坂の向かっていった。












日本の歴史(将軍と大名/暁教育図書発行)

江戸城内における刃傷事件/祖田浩一氏執筆)ヨリ