間部詮房と新井白石
綱吉の側近政治は六代将軍家宣が引き継ぎ、
お固いところで儒官新井白石、
柔らかい方で能役者あがりの間部詮房を
側用人として重用した。
家宣は真っ先に綱吉の悪政,「生類憐みの令」を
撤廃するなど改革を進めたが、
在職わずか三年十か月、
同じ正徳二年にあっけなく死ぬ。
あとはようやく四歳になったばかりの、
幼将軍家継が継いだものの、
はたしてその名の通りうまく家が
継げるかどうか。
そこで家継の生母月光院と、
当りのよい間部詮房が、家宣の遺命として
幼君の養育に全力をあげることになった。
当時、詮房は高崎城主で五万石、
しかし養育のための屋敷にかえらず、
江戸城に詰め切り出幼将軍の世話をしていた。
したがって女人国の大奥へ、詮房だけは
まったくのフリーパスである。
はじめは上下でしち固くやっていたが、
何さま、脂粉の香り濃厚な別世界、
しかも月光院は二十六歳の女盛りだ。
やがて幼君はそっちのけで、
飛んだセックス技巧の伝授に
精出すようになった。
(人物探訪/歴史の女性/暁教育図書発行)
(元禄期の幕閣群像/稲垣史生氏執筆)