月山富田城攻城戦・其の3 | テンカス・気まぐれ1人旅

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城をはじめ、名所、旧跡巡りが好きです。
最近は歴史にも興味があり、いろいろ調べ
気になった所をまとめ載せていきます。
よかったら覗いてみてください。

第一次月山富田城の戦いお月様雷メラメラ


吉田郡山合戦での勝利に加え、

天文十年(1541)十一月には、

それまで尼子氏を支えてきた

尼子経久が没したことから、

ときの当主大内義隆は、

今こそ尼子氏を討つ好機とみて

自ら三万の軍勢を率いて山口を発し、

一路出雲国を目指した。


大内軍は天文十一年春には出雲と安芸の

国境に位置する赤穴氏の居城瀬戸山城を

攻め、これを攻略した。


翌十二年二月、

義隆は富田城の向かいにある京羅木山へ着陣し、

毛利元就は三笠山、陶隆房は経塚山へそれぞれ

陣を構えて富田城を包囲した。


大内方は何度も攻撃を仕掛け、三月中旬には、

富田城下の菅谷蓮池縄手において、

毛利軍が合戦におよび、尼子方の兵一人を

討ち取ったが、内藤氏の家臣である

勝馬田(かつまた)孫七が討ち死にしている。


また、平賀隆宗も金尾洞光寺境内において

尼子方と合戦に及んでいる。


なかでも、毛利元就が塩谷において

数時間にわたり尼子勢と激突した戦いは、

双方合わせて約二百本の鑓(やり)が入り乱れ、

「塩谷の大鑓」とよぶ大合戦になったという。








大内義隆像(大寧寺蔵)

大内義興の嫡子。1528年家督を相続。

周防・長門・豊前・筑前・石見・安芸の

守護となり多大な勢力を誇る。

明・朝鮮との貿易で城下の都市山口の

繁栄を築く。1551年重臣陶晴賢の反乱を招き、

逃亡先の大寧寺にて自害した。







中国地方諸大名


















(洋泉社/歴史REAL/戦国の城を攻める)

(月山富田城/舟木聡氏執筆)より