早良(さわら)親王憤死事件
桓武天皇の皇太子としては、早くから
父光仁天皇の意志によって異母弟の
早良親王がきめられていた。
桓武には多くの皇子がいたから、
親の情としては、どうしても
割り切れないものがあっただろう。
延暦五年(785)長岡京造営中に天皇の
信任が厚かった藤原種継が暗殺される
という事件が起こった。
その犯人を探索しているうちに、
その陰に早良皇太子がいる
ということとなり、ただちに
早良親王を皇太子の座から
引き下ろしたのである。
幽閉された親王は無実を訴えて絶食し、
ついに憤死した。そのあと皇子
安殿(あて)親王を皇太子に据えたのである。
天皇は寝覚めのよいわけはなかったろう。
さきの井上・他戸の事件に加えて、
早良親王の亡霊に悩まされることになる。
(日本女性の歴史/暁教育図書発刊)
(桓武天皇をめぐる女たち/林陸朗氏執筆)より