学問好き一変
彼は大変学問好きの男だったらしい。
常に学者を呼んで「四書五経」の討論をし、
それらに注解した本を幕府から出版した。
これは家康以来初めての事である。
彼の学問は儒学であり、孔子を師とあおいだ。
元禄三年(1690)には、現在の昌平坂に
湯島聖堂(大成殿)を建て、将軍自身、
ここで講義し、陪審にまで聴講を許し、
その数二百四十回に及んだ。
そのほか大名の屋敷に臨んでも、まずそこの
家臣を集め講義して聞かせた。
また歴史をつくることをよろこび、
林春斎に命じて『本朝通鑑』という、
総巻三百十巻に及ぶ日本の歴史を編ませ、
また諸大名に命じて徳川氏関係の
古記録を提出させた。『貞享諸家書上』という。
また秀忠一代の記録を集めた
「武徳大成記」もある。
このように学問好きであったが、
それが偏執狂的だった。
前将軍家綱のところでも述べたように、
こういう特別な生まれ方をした人は、
だんだんに権力を得、誰もが自分の
ご機嫌ばかり取るようになり、
思いのままのものが手にはいるように
なるに従って、もっていた性質が
偏執狂的なものとなり易いのである。
幼少のときから家光は「この子はさとい子だ。
私は武芸が好きで、勉強しなかったので、
今になって悔いている。この子には勉強させろ」
といっていたが桂昌院(綱吉の母・お玉)は、
自分も無学な八百屋の娘だったから、
家光のいいつけに従って、
すっかり教育ママになったのだ。
日本の歴史(将軍と大名/暁教育図書発行)
(徳川綱吉/村山知義氏執筆)より