先駆けの功
このとき実は、お国の協力者として
名うてのかぶき者がいた。
いまでも歌舞伎で演じられる、
「鞘当」の色立役、両花道の拵えで
不破伴左衛門と伊達を競う
お馴染みの名古屋山三のモデルである。
この人物も伝説化された嫌いがあるが、
蒲生氏郷の小姓をつとめた名古屋山三郎は、
奥羽で武名をあげた優れた戦士であった。
氏郷の死後に浪人となったが、
お国と通じ合った当時は、
艶聞のたえない粋人だった。
風流の道のも詳しかったこの曲者が
新しい歌曲も作ってお国に教えたと
見られているし、髷や冠もの、瓔洛(ようらく)
や佩刀(はいとう)などの優しい男装の粉飾にも、
あるいは彼の発想が生かされたかもしれない。
俳優と演出家・・・二人は意気の合った
コンビを組んで、今日の河原に童児や
女子をまじえた艶やかなかぶき踊りを
繰り広げて見せたのであろうか。
両者の関係はそれほど長くはつづかなかった。
山三郎が作州津山の森忠政に仕官する
ことになって都を後にしたからである。
阿国歌舞伎図屏風
舞台の中央で男装で踊って
いるのが阿国である。
歴史の女性(阿国歌舞伎の創始者/神谷次郎氏執筆)
暁教育図書発刊より
