直義VS高兄弟の争い終止符
直義と高兄弟の対立に決着をつけたのは、
義直党の上杉・畠山一党、高兄弟によって
討たれた上杉重能と畠山直宗の遺児たちである。
上杉重能と畠山直宗は1349年、師直・師泰兄弟が
直義による追放計画に怒って決起し、危険を察知した
直義が身を移した尊氏邸を、手勢を率いて取り囲んだ
時に引き渡しが要求された二人である。
師直・師泰に言わせれば、直義の近臣である2人が、
あることないことを直義に讒言したために自分たちの
追放が計画されたというわけだ。困った尊氏は2人を
越前国(現・福井県)への流罪にし、直義を政務から
退かせることで決着を図る。ところがそれから半年後、
直義の出家で幕府の中枢を握った高兄弟は、
越前守護代に命じて2人を殺害、怒りに燃える
上杉・畠山党は復讐の機会を狙っていたのだ。
戦いは直義の勝利に終わり、高師直らは尊氏とともに
京へ逃げ帰る。三里後方を歩いていた師直らは
尊氏とはぐれ、摂津の武庫川を渡り、鷲林寺(じゅうりんじ)
の前に来た時に両党によってあえなく殺される。
「太平記絵巻」に描かれた高師直(三時知恩院蔵)
ビジュアル日本の歴史(南北朝の動乱)DEAGOSTINI発刊より