きづけばあき

そらも
くもも
たかく

よかぜは
やきのはらの
におい
なつかしく
どこか
やさしい





かんじること
やめたくない


めにみえることしか
しんじない
あしたが
きても

ぼくは
ぼくのまま


ねぇ
きみは
きょう
どんなこと
とらえてる?

なにを
みてる?





きみだけの
ししんで

とらえ
かんじ

きょうを
あしたを





こころがわりは
せめられると
あきたじぶんが
わるいんだと
いつも
じぶんを
おさえ
とどまらせようと
してたんだ


だけど
だれひとりに
りかいされなくても

ひとは
ひび
せいちょうするものだから

きょうと
あしたで
ちがうのは
まちがいじゃない




きみは
きみのみちを


ただ
もう
まじわることない
それは
けっして
かなしいことでも
わるいことでもなく

また
おたがい
せいちょうした
みちのうえ

またであえること
しんじて

あゆみを
やめない


そして
また
まじわりしとき

すなおに
うけいれりゃ

それでいい





だから
こころがわりは

せいちょうのあかしとして


また
おたがい
すてーじあっぷ
できたならば
わらいあいましょう







とどまること
ときに
くつうで
こころは
さきを
めざし
あしぶみしてんだ

うれしいこと
たのしいこと

あると
かならず
さきにゃ
かなしみがまってるからと

げんじょういじという
ぬるまゆに
つかってちゃ
まえにや
すすめんぜ





わがままは
わがのまま

つまりは
じぶんを
いきてるってこと




いちどきり
わがままに
いきて
なぜ
せめられる?


なんか
そういう
まわりが
すべて
めんどくさくて
はいじょ
したくなります


ひとに
ながされ
のんべんだらり
じぶんのことも
きめれんような
やつらに
だいなしに
されることほど

みじめなもん
ないでしょう





なぜ
ひとは
じぶんと
すこし
ちがう
かんがえ
こうどうするもの
さけるんですかね




そういう
しげきを
じぶんに
ぷらす
できるよう
ひび
こうじょう
しないんですかね




うーん
かぎりなく
めんどくさい





やっぱ
おたがい
こうじょうしあえる
そして
あたりまえに
ひとのこと
じぶんのことのようにかんじ
こうどうする
そんなせかいに
ぼくは
いきたい





あたりまえが
かんたんそうで
むずかしい


あたまで
かんがえんの
いいかげん
やめたら?











みんな
やらんだけで
ほんとは
もってんの





みじかな
だいじなひとに
してることを
ただ
べつのひとにも
すりゃいい







あたまじゃなく
こころで





けいさんじゃなく
ほんのうで













ただ
それだけ










ほら
みえた























かわった
あたらしい
じぶんで






さぁ

なにみよう

だれにであおう

どれてにしよう

どうすすもう





いきてるって
つまりは
かんじよう