ホワイトはちょうど、仕事帰りだった。
職場のニューヨーク市街地から5ブロック離れた場所に自宅のフラットがある。その夜はニューヨーク名物の渋滞もなぜかなく、街はひっそりとしている。ホワイトは、凝った肩を気遣いながら、何も考えることなく運転していたところだった。
路地をみると、黒いドレスを着た女がミュールを右足の指先で回す様子がみえた。
季節外れのノースリーブは、寒空には不釣り合いだった。みかねてブレーキを踏み込んだ。
「寒空にそんな格好じゃ風邪ひいちまう。乗ってきな」
「……送って、くれるの?」
「心配ご無用。俺は盛りはとうに過ぎた定年前のオヤジだし、なんならカミさんに変わって運転してもらってもいい」
女は青い瞳でじっと自分を見つめていたが、やがて頷き後部座席に滑り込んできた。
バックミラー越しにぬめった視線を感じる。口を開こうとすると、方向を指示される。それ以外の会話を禁じられたかのように、沈黙する他ないほど女は寒々しい雰囲気を放っていた。
途端に後悔した。お人好しも大概にしろと妻に言われつづけたが、これで最後だ。この女、
ゴーストだ
窓を開けてもいないし暖房も効いてるはず、なのに凍える冷気が車内に立ちこめている。もはや怖くてバックミラーを覗く勇気がなかったが、眼の端から雫で曇った鏡が見え心臓が跳ね上がった。
車はサブプライムローン問題で頓挫したままのゴーストタウンに入った。
外か車内か分からないほどに霧のような空気が漂っている。女が消え、ぐっしょり濡れたシートだけが残されていたという話はよく聞くが、ホワイトはむしろそうなって欲しいと願った。1秒も早く女との関わりを断ち切りたかった。
だが、彼の願いは虚しく、車の行く先は光のない雑木林を示している。「お、おい。ここでいいのか…?」ようやく声を絞り出すと、女をみた。
「ええ」
女はいつの間にか、車から降りていた。安堵感と疑念がない交ぜだったが恐怖が勝っていた。車のギアを入れた。
女に視線を移した瞬間、悲鳴が聞こえた。いや自分の声だ。
首を吊っている彼女の脇で彼女を見つめる彼女。ついと、視線をホワイトに向けた。
「ありがとう。私を見つけてくれて」
礼などいらなかった。なのに彼女は、最期の謝礼を差し出したのだった。
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