「待ってぇぇぇ!まだ」
他人に無関心な群集から、
甲高い声が石本三郎の耳を突き抜けた。
まだって何のことだろうと、思わず振り向くと、
前のめりの姿勢から飛び込んでくる女性の頭頂部がみえた。
勢い、女性の頭を石本のせり出た腹で受け止める。
「大丈夫ですか?」
むせながらも、女性の安否を気にする自分は馬鹿なんだろうかと考えていると、
その女性はこちらを見て、言った。
「ありがとうございます。おかげで靴、買えました」
よくみると、確かさっき百貨店の靴売り場で譲ってあげた女性だった。
「すっきりしました。でも、もうひとつ言いたいことがあるんです」
その彼女は勝ち気そうな視線を石本に向け、続けた。
「せっかくのハイヒールが、あなたをとめたせいで傷ついちゃいました。
飛びこむのは、代わりのものを買ってもらってからにしていただけますか?」
思わず、石本は笑った。
本気半分、気遣い半分かもしれないが、
久しぶりに人のあたたかさに触れた気がした。
「何がおかしいんですか?」
女性はふくれっ面をみせた。
「失礼、アカの他人のあなたが、私のような者をとめるのがおかしかったんです。
とにかく、申し訳ないですから、靴の代金はお支払いします」
彼女はなおもにらみつけ、こう言った。
「このハイヒール、本当に気に入って買ったんです。
気に入るものが見つかるまでご一緒していただかないと、
値段が分かりませんから」
屁理屈のような気もするが、
自殺を思いとどまらせたいからなのだろうと思うと、
涙が出そうになった。
他人にここまで気にかけてもらうのが面映ゆい反面、
自己嫌悪にも陥った。
しかし、公衆の面前で美人にここまでさせておきながら、
足蹴にはできない。
いつの間にか、人だかりのできていた。
石本は輪をかき分け、百貨店の靴売り場をめぐることにしたのだった。
(つづく)