その日も、康雄は何気なく胸ポケットをまさぐった。
まだ真新しいケースから一本の煙草を取り出す。
慣れた手つきでZippoをはじくと、
目の前にゆらゆらと火が灯った。
もう禁煙なんてやめよう。
目いっぱい空気を吸い込むと、タバコをくわえた。
マルボロの味を確かめようとするまさにその瞬間、目が覚める。
心臓が痛い。
体中、いやな汗をぐっしょりとかいている。
毎日のように見るこの夢は、
現実との境に戸惑うほどのリアリティを康雄につきつける。
煙草からの誘惑と、ニコチンの禁断症状は途切れることなく康雄を襲う。
精神的疲労の度合いは日々増すばかりで、
左官工としての評判にも影響を与えているほどになった。
仕事仲間からは顔色を心配された。
八つ当たりする家族がいないのが幸いだったが、
付き合って3ヶ月の彼女には禁煙開始から1ヶ月もしないうちに別れを告げられた。
誰と話していても、煙草のことを考えている。
たかが煙草にこれほど追い込まれるとは想像していなかった。
Zippoを握りしめ、火をつけては消した。
衝動的に買った未開封のマルボロは、1カートン以上になってしまった。
どうしても禁煙しなければならない。
憎い健雄に勝ちたい、それだけの思いが康雄に禁煙させていた。
しかし、その思いとは裏腹に、体が無意識に動いてしまう。
知らないうちに、火のついていない煙草をくわえていたこともあり、
慄然とした。
もはや意志だけでは煙草を絶つことができないのだろうかと、康雄は懊悩した。
煙草をやめてから、心身ともに病んでいく自分に反吐が出る思いだったが、
どんな手段を使ってでも健雄に勝たなけばならないと、また己を鼓舞させた。
そして、一つの考えが浮かんだ。
静寂が沈黙を破った。
握りしめていたZippoを窓ガラスに投げつけた。
夜のしじまに甲高い破裂が響いた。
康雄はのっそりと闇から立ち上がると、仕事で使っている電動鋸(ノコギリ)を手にとった。
刹那、康雄の口元が怪しく歪んだ。
第5話につづく