おりんはその夜、
遊廓の裏口でひっそりと首を吊りました。
以前から男の台所事情を聞いていたおりんには、
男の苦悩が手にとるように理解できたのです。
家を捨て、一緒になってほしいと自分から言うことは恥と思う一方、
男の幸せを切に願ってもいました。
自分がいなくなれば、男は悲しむが、男がいなくなれば、困る人々は多いだろう。
おりんの気持ちは張り裂けそうでした。
懊悩に耐えきれずの自殺だったのです。
おりんの心情を図りかねた男は、遊廓の裏口で独り、さめざめと泣き明かしました。
自分のせいでおりんが死んでしまったことに対する悲愴。
彼女に対し報いるには、死しか思いつかなかったのです。
おりんの死に場所に折り重なるように横たわっていた死体を見た人々は、
壮絶な死に様に涙したといいます。
男は血の海につかり、右手両足の指はすべて包丁で切断され、口や喉からは何本もの針が飛び出していました。
男は自分で自分の指を傷つけながら、おりんに許しを請い、来世でおりんとの再会を夢見たのでしょう。
朝焼けの光が、紅と銀に照らされて、それはまるで紅葉の木漏れ日のようでした。
そして。
この悲劇を見聞きした人々に次々と異変がおき、悲劇がさらなる悲劇をよんでいるのです。
・・・
おりんと男の深い悲しみは今も生きた物語として伝播しています、
見聞きした人が軽々しく嘘をついたり、 相手を傷つけたりしたら
月夜に照らされた刹那、
おりんと男の情念によって指がそぎ切られ、喉に無数の穴があけられてしまうそうです。
実のところ、
私だって、興味本位で祖父のもつ蔵から古い文献を紐解いただけです。
江戸時代の昔話と思い、つい今し方まで信じてなどいませんでした。
しかし、先ほどからパソコンのキーボードを打つ指が痛んで仕方ないのです。
キーボードの音に、
みしっ、みしっ、
という音が追いすがります。
みしっ、みしっ、みしっ、
みしっ、みしっ、みしっ、みしっ、
みしっみしっみしっみしっみっみしっみしっみしみしっみしみしみしっ
ひょっとして、あなたの骨の音ではありませんか?
だって、私の指はもう切られてしまって、ないのですから、
了