オリックスバファローズ パシフィック・リーグ優勝誠におめでとうございます。待ちに待つこと25年。忘れもしない1996年9月23日(月祝)秋分の日、デーゲーム。オリックス対日本ハム首位攻防マッチ、イチローサヨナラ2ベース。あの日までさかのぼらなければならないのです。25年とてつもない、数字。4半世紀ぶりの快挙。私は小学校5年生です。

 

さて、私の小学校低学年1年から2年の時代は、Jリーグ真っただ中。キングカズこと三浦知良、武田修宏、北澤豪。えっ!!!ビスマルクにアルシンドに前園だとという読売巨人軍のようなサッカーチームヴェルディ川崎(読売が母体ということを後に知った)を筆頭に子供たちはサッカーにくぎ付けになった。

 

もちろん私も、学校が終わったらサッカーをよくしていた。当時は、サンフレッチェ広島が優勝をしたので、強いチームが好きになってしまう傾向があり、サンフレッチェ広島を応援してました。小学校3年生の1994年ぐらいから兄の影響でソフトボールに触れる機会が多くなってきた。5年の兄がソフトボールの小学校地区大会に出るようになるからだ。練習に付き合っているうちに、サッカーの熱は冷めていった。

 

その頃すい星のごとく現れたのがイチローだ。僕は野球を全く知らなかった。なんせ、神戸が震災にあったとき、小学校3年生の終わりごろ、ほとんど記憶がない。ただし、イチローはなんか聞いたことある。みたいな程度。イチローは1994年にすい星のごとく現れ、210本の安打を放ち、一躍時の人になった選手だ。1995年遊びはいつの間にか野球に変わっていった。時代の流れでサッカーは昼休みにする程度になっていった。放課後の遊びは野球。当然プロ野球も見るようになった。

 

1995年9月19日オリックスが「がんばろう神戸」を掲げて優勝した。MVPはイチローだった。ほんとにすごかった。翌年も2年連続の優勝。

 

前置きが長くなりましたが、忘れもしません、冒頭1996年9月23日に親父と祝日テレビにかぶりついて夢中になって応援したオリックス。ソフトボールを3年、中学からは友達と週末野球。高校からは音楽に浮気しましたが、ずーっと野球に魅了されてきた、野球・オリックス一筋男がついに、優勝を迎えることが出来たのです。(飽きるのは早いといわれるB型のくせに、これだけはずーっと応援し続けてきた)

 

25年待たせたんですよ。36歳です。私。時にはオリックスの低迷期をみました。イチローが海を渡り、イチローの活躍が私の希望であり、オリックスが負けようがイチローが活躍してくれるならそれでいい、そんなオリックスのアイコンのおかげで、たとえ、6位だろうが、ずっと応援してきました。(実は、カープが優勝したとき、もうカープファンですと衣替えしたときがありましたが、過去の話)

 

友達、職場でオリックスファンっていうことが恥ずかしくって、「高利貸し、リース会社、好きになれん」と一蹴されたり、つらい思いを何度してきたことか。何度もいいます、25年です。25年ですよ。もう私が生きている間にオリックスっていうチーム優勝しないんじゃあ。チームがなくなってしまうんじゃあ。(実際に応援していたオリックスブルーウェーブは2004年暮れ近鉄バッファローズと合併して消滅します)

 

そんなことすらありつつも、なんともいえない弱さも愛してしまう。合併したらいい選手ばかりになり、余裕で優勝やとか思ってたら、4位とか。そんなオリックス愛を語るうえで、絶対許せないことはオリックスブルーウェーブをなくしてしまったこと。神戸から完全撤退したこと。これだけはずーっと受け入れられなかった。宮内オーナーを恨んできました、けど、けど、だけど25年ぶりの優勝の瞬間宮内オーナーが胴上げされているのをみて、やっと神戸の呪い、近鉄の呪い、合併の呪いから解放され近鉄と一つになれたんだと実感できるともうその件はいいと思えるようにやっとなれました。追いすがる2位ロッテのとどめをさしてくれたのも、近鉄の血が流れている楽天が介錯してくださり、ひとつの黒歴史がやっと終わった気持ちになりました。

 

抑えきれないこの気持ち、いろんな歴史を語りたい、例えば、1996年のドラフト2.3.4位の谷、塩崎、佐竹の新人トリオ、イチロー田口など優勝メンバーの放出後の暗黒時代の川越・具・金田(本柳ももはやエース)エース時代、石毛、レオンリー、伊原とかほんとなにしてくれとん時代。ダイエーにこれでもかと点をとられるシーン。閑古鳥がなく、グリーンスタジアム。石毛、レオンリー、伊原とかほんとなにしてくれとん時代。二度目。。。球団合併、コリンズ時代の清原、中村紀洋、カブレラ、ローズ、期待し始めたどんでん政権、サトタツ、ヒラノ、キシダ、リリーフ整備ならどんでんやな。2014年の森脇監督ペーニャ様の覚醒。福良、西村の俊足好打選手のかき集め。語りだすととまらない。

 

オリックスこそ我が人生。

 

Ah ORIX Buffaloes 光り輝く明日に向かえ

Ah ORIX Buffaloes 君は行けるだろう

 

このままCS勝ち進んで、1996年海事研修中で翌朝日本一を知ったあの仁志の打球を田口壮がつかむあの瞬間をタイムリーで味わいたい。

 

AAAのライブがあるから6.7戦は神戸で開催される。

 

出来ることなら、ヤクルトと戦い、1995年のリベンジを行いたい。

 

さて、一通り書きましたので、筆をおろします。

長文になりましたが、読んでくださりありがとうございました。