斉藤 幹郎 | 演劇実験室◎天井桟敷の人々

演劇実験室◎天井桟敷の人々

寺山修司が率いた演劇実験室◎天井桟敷、そこにどんな人々が集い、その後の人生に「体験としての天井桟敷」がどのように投影されていったのかとても興味があります。
退団後の1000余の生き様、それもまた寺山が仕掛けた壮大な劇なのかもしれません。



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斉藤 幹郎

斉藤は「書を捨てよ、町へ出よう」(1968)に出演しています。

同姓同名の人物が、天井桟敷退団後に東由多加が立ち上げた
東京キッドブラザースの公演「続・東京キッド」(1969)で
舞台監督を担当しています。
年代・人脈から同一人物とみていいでしょう。
東京キッドブラザースは公演データが乏しいため、
斉藤がその後の作品にも関与したかは定かでありません。

東が同劇団を旗揚げした経緯や旗揚げ公演などの黎明期を記した
文章がありますので参照してください。


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上記以外のことはわかりませんでした。

情報をお待ちします。