音楽担当 J・A・シーザー  才女 岸田理生 | 演劇実験室◎天井桟敷の人々

演劇実験室◎天井桟敷の人々

寺山修司が率いた演劇実験室◎天井桟敷、そこにどんな人々が集い、その後の人生に「体験としての天井桟敷」がどのように投影されていったのかとても興味があります。
退団後の1000余の生き様、それもまた寺山が仕掛けた壮大な劇なのかもしれません。

 
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J・A・シーザー
 
 
天井桟敷の演劇は楽曲が多用されたミュージカルでもあった。
 
そのほとんどはシーザーが作曲している。
 
すべてを聴いたわけではないけど才能のある作曲家だと思います。
 
自己流で音楽を始めたと何かで読んだ覚えが記憶の片隅にあります。
当初は複雑なコードは知らないから使えない。
それが幸いしたのかもしれない。
ギター初心者でも弾ける簡単なコード進行なのにメロディが素晴らしい。
それが彼の才能なのだと思います。
日本の演劇史上最高の劇伴作曲家!
 
 
 
寺山が亡くなり、天井桟敷の存続について最高幹部で検討された際に、
彼は劇団を引き継ぎたいと意欲を示したようですが、叶わずに翌年
多くの天井桟敷残党を率いて
自らの劇団「演劇実験室◎万有引力」を結成します。
 
その後の活躍は劇団のHPを参照ください。
 
 
ともすれば寺山演劇と比較されてしまれがちですが
そうした重圧から解放され、独自のシーザー・ワールド
を展開してほしいと思います。
 
音楽活動も精力的に行っているようです。
 
 
  
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岸田理生の存在は謎である。
 
寺山が審査員をしていた新人文学賞を彼女が受賞した際にスカウトしたようですが、その後はみごとに寺山によって才能を開花され、
やがて多忙な寺山、病魔に冒された寺山を補佐する役割を
担っていったかに思えます。
 
その役割をこなせるのは九條映子でも田中未でもJ・A・シーザー
でもなく、まさに彼女だった。
 
これぞ天の配剤!
 
彼女もまた生き急ぐかのように寺山の死後、演劇に明け暮れ、
10年近い闘病生活を経て2003年に亡くなった。
 
彼女の業績はこのHPで