● 現代のヒーロー像。 | たいやき社長、書く。

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私は、お客様から、色々なものをいただきます。今日は、手作りの巾着ポーチをいただきました。お手紙もよくいただくのですが、私は、この世で一番嬉しいものは、その人の手作りのものが何よりも嬉しいです。100万円をもらうよりも嬉しいです。プレゼントも、ただ高価な品をもらうよりも、心がこめられた、「直筆のお手紙」が添えられたコンビニのお煎餅の方が、断然嬉しいです。自分がそのような人間なので、私が何かを差し上げるときは、少なくとも、3行くらいのメッセージを書いた紙を必ず添えます。私は、モノよりもココロです。


本日は、「現代のヒーロー像」についてお話しします。貴方様が思い描くヒーローとは、どのようなイメージでしょうか。ルックスがよく、頭が切れて、パワーもあり、正義感にあふれたパーフェクトな人物でしょうか。実は、これは、古いヒーロー像なのです。現代の、漫画やアニメや映画などに共通するヒーロー像は、「普段は少し頼りないが、ここ一番のところで何とか頑張り、人々を助け、人々の力になる」というスタイルなのです。


初めから、完全無欠のピカピカの人物が主人公ですと、すでに結論が分かってしまいます。「この人が主人公で、すごく頑張るのだろうな」と思える男性や女性が出てきて、最初から最後まで、その姿を貫くのは、時代遅れのヒーロー像なのです。現代のヒーローは、そうではありません。ずっこけるタイプ、頼りないタイプ、普段はだらしなく、どうしようもない人が、いざというとき、ここ一番のときに、潜在能力を発揮して、活躍するようなかたちが定番です。


最初からエリートなのではなく、「いままでダメだった人が、突如、頑張り始める」という姿に惹かれるのが現代版なのです。ですから、ただいま、貴方様が、ずっこけるタイプ、頼りないタイプ、だらしなく、どうしようもない人であるならば、とりもなおさず貴方様は、「現代のヒーローになり得る人物」なのです。


私も、「現代のヒーローになるのだ!」と、野心を燃やしています。なぜならば、私は、義務教育の間は一切勉強せず、劣等生でしたし、高校も、答案用紙にとりあえず名前さえ書けば入れるような、県内でも 〝 下の下 ″ の教育困難校の中で、学年順位はトップ10ならぬ、〝 ボトム10 ″ でした。まさに、カネなし、コネなし、学歴なしの、「人生の落ちこぼれ」が私という人間なのです。


これほど、「現代のヒーロー」の条件を満たしている人間もいないと思います。あとは、「ヒーローになるだけ」です。しかし、当然ですが、落ちこぼれのままではヒーローにはなれません。落ちこぼれが、エリートに変身したとき、初めてヒーローとなれるのです。ヒーローになるためには、99パーセントの、「その他大勢」を超えて、1パーセントの、「主人公 」にならねばなりません。


したがって、1パーセントの主人公、1パーセントのヒーローになるためには、「99パーセントの人間がしないような努力」が必要です。これは、当たり前のことです。たくさんの勉強が必要ですし、たくさんの失敗も必要ですし、たくさんの勇気、決断、行動も必要ですし、たくさんの犠牲、忍耐、辛抱も必要です。しかし、「落ちこぼれ」のまま終わりたくはない。私は、必ず、「現代のヒーロー」になります。


「自分はダメな人間だ。」「自分はヒーローにはなれない。」このように思っている人こそが、「ヒーロー」にならなければいけないのです。これが、世の人々が求めている、「現代のヒーロー像」なのです。「もしかしたら、私もヒーローになれるかもしれない!」このような勇気を、希望を、光を与えられるのは、「ずっこけるタイプ、頼りないタイプ、普段はだらしなく、どうしようもなく、落ちこぼれのダメな人」なのです。ヒーローになるのは、貴方様なのです。


以上、「現代のヒーロー像」という話をしました。私は、ヒーローになるために修行に励みたいと思いますので、以降、当ブログは、月に1〜2回のペースで更新する予定でいます。記事のネタも溜まる一方ですが、私の目標である、啓蒙家になったときの講演で大出力するために温めておきたいと思います。尚、アメブロ自体を開かなくなると思いますので、ペタのお返しもできないことをお伝えしておきます。いつも、ありがとうございます。