● この世的、人間の完成とは。 | たいやき社長、書く。

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この世的な意味において、私自身が、「このふたつの条件を満たせば、人間として完成であろう」と思っているものがあります。

ひとつめは、「自分を殺しにきた人間と仲良くなれるほどの、胆力、器、人徳、人格を身につける」こと。ふたつめは、「独りでいても、寂しくない人間となる」ことです。これは、精神的に自立し、孤独に打ち克てという意味もありますが、「自ら光を放つ人間となり、その光に惹かれて、人々が集まってくるような人間となれ」ということです。

このふたつの条件を満たしたとき、この世的な人間の完成といってよいかと思います。まさに、〝 人物 ″ というレベルでしょう。「一人で、百万人の重みのある人間を目指せ」ということです。

たとえば、私が好きな、西郷隆盛という人物「ひとり」と、ごくごく普通の人間「百万人」とを天秤にかけたとすると、やはり、歴史に残る西郷さんのほうが重いわけです。これは、命の重さではく、「人間の器」としての重さ、大きさのことです。

もちろん、これほどの人物になることは、極めて難しいことですが、「なろうと思わないかぎりは、なれない」のです。やはり、果てしなき理想を抱く、限りなき大志を抱くということは、〝 深く、濃い生涯 ″ を過ごすためには、欠かせないと思います。

「人生、お一人様1回かぎり」です。人間として生まれたからには、ぜひ、「自己の完成」を目指して、日々、切磋琢磨、刻苦勉励、努力精進していただきたいと思います。

 
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