● 人間は、「そのままで完璧」なのか。 | たいやき社長、書く。

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気休め、癒し系の〝 お花畑スピリチュアル ″ などでは、人間とは、神の光から分かれ出た存在であり、人間は、ひとりびとりが神の子であって、「そのままで完璧なのだ」というような教えが、うんざりするほど説かれておりますが、はたして、それでよいのでしょうか。

そういう考え方は、学校の校長先生が、「みなさんは、すでに立派な人であり、優秀ですから、勉強する必要などありませんよ。努力する必要もありませんよ」と宣言するようなものです。

しかしながら、実際は、たしかに優秀な人もいるでしょうが、果てしない努力が必要な人がほとんどです。やはり、延々と、何年間も勉強を続けて、実力を上げてゆくのが〝 筋 ″ というものです。この過程を無視するならば、この世界の発展も繁栄もなくなり、衰退し、結果的には滅亡することになります。

やはり、人間は、全能全知の、完全完璧な神の境地を目指して、「後天的な修行」の部分を無視することはできないのです。ですから、「そのままで完璧」とか、「ありのままでよい」とか、「宇宙におまかせすれば成功する」などといった、怠け者を育成し、世の中を堕落させるような、キラキラ系、癒し系の〝 お花畑スピリチュアル ″ や、「お花畑成功法則」は、あくまでも、〝 人気取りの商売 ″ なのです。

そのようなものは、あくまでも、〝 娯楽 ″ であって、楽しむ分には個人の自由ですが、やはり、「努力」や、「修行」という厳しさを抜きにした教えというものは、本道・本筋ではないということだけは、知っておくべきです。「神の属性を持つ人間の価値」というものは、あくまでも、「後天的な努力、後天的な修行」によって決まるのです。

 
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