戸田が逝去し、山本伸一は、必死で学会の前進の舵を握っていた | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (人間革命』第11巻より編集)

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          〈裁判〉 6

 

 古い常識に縛られた人間の心には、新しいものは奇異としか映らず、不安と恐れをだかせる。

 

 それが憎悪を呼び覚まし、排斥へ、弾圧へと人間を駆り立てていく。

 

 社会のさまざまな不当な差別も、裏返せば、不安と恐れから生じるものであり、人間の臆病さ、弱さの産物といえるかもしれない。

 

 

 

 人間の闇夜を照らし、広宣流布の夜明けを開いた、救世の松明は燃え尽き、昭和三十三年四月二日、第二代会長・戸田城聖が世を去ったのである。

 

 その経過については後述するが、七十五万世帯の達成、法華本門大講堂の建立寄進など、生涯の願業をことごとく成就し、後事の一切を、山本伸一をはじめとする青年たちに託しての逝去であった

 

 戸田の存在が、あまりにも偉大であっただけに、創価学会は空中分解するにちがいないと、公然と予測する者も多かった。

 

 戸田の逝去後は、理事長の小西武雄が、学会の責任者として表舞台に立ち、陰で山本伸一が、学会のすべてを支えていった

 

 その両首脳が、被告人として、そろって法廷に立たなければならなかったのである。

 

 

 しかも、裁判の行方は厳しく、弁護士陣は、事態の容易ならざることを嘆くばかりであった。

 

 闇は限りなく深かった。

 

 裁判という重荷を背負い、戸田という指導者を失った学会を率いて、広宣流布の希望の峰をめざすには、想像を絶する強靭な精神の力を必要とした

 

 山本伸一は、時として心身の消耗から苦悩をあらわにする小西理事長を励ましながら、必死で学会の前進の舵を握っていた

 

 彼には、弱音を吐く暇さえなかった。来る日も、来る日も、胸中の戸田と対話しながら、命を削っての激闘が続いていたのである。