(『人間革命』第10巻より編集)
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〈展望〉 19
戸田は、草創の再建期にあっては、毎晩のように座談会に出席した。それも、三人、五人の少人数の座談会から始まったのである。
現在の首脳幹部は、そのころ、戸田に同行して、それらの座談会で折伏を学び、指導のなんたるかを、つぶさに会得した。
具体的な実践ほど、人を成長させるものはない。
形式を打破した闊達自在な小会合ほど、生命と生命の触れ合う親しさが軸となって、そこに固い団結も、同志愛、学会精神の脈動をも生まれる。
信心という姿なき実在は、はつらつと心の通う座談会にこそ、忽然と現れるのである。
幾多の会合の忙しさに紛れて、いつしか座談会を軽視しがちな幹部の動向を、戸田は厳しく戒め、座談会が形式主義に陥る弊害を除去しようとした。
その背景には、座談会を組座談会にまで拡大した山本伸一の、大阪闘争があったことは言うまでもない。
八月二十六日午後一時、両国の国際スタジアムで、全国新支部結成大会が行われた。
戸田城聖は、林立する新支部旗を前にして、社会が、創価学会という団体を、やっと注目し始めた、と語りだした。
「七月八日の選挙が終わって、その次の朝、朝と申しましても夜中の二時に、私は、ひしひしと身に感じるものがありました。
そして、一首の歌をつくりました。
『いやまして 険しき山に かかりけり 広布の旅に 心してゆけ』
これが、私の心であります。
案の定、選挙が終わって以来、初めて日本の社会がびっくりして、清く公平な学会が、悪口を言われたり、攻撃されたり、
あるいは間違った報道が始まり、あらゆる状態が、われわれ創価学会のうえに降りかかってまいりました。
その選挙の時に、私が同志のために、全国を歩いて感じたことが、それなんです」