(『人間革命』第10巻より編集)
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〈険路〉 16
この夜、留置されていた同志が、一人釈放になったという報告がもたらされた。
そのころ留置場では、退屈まぎれに、延々と”座談会”が行われていた。
仏法の話に関心をもった”監房長”が、学会の青年に尋ねた。
「うまい話やけど、それには、どないしたらええのや」
”監房長”は、五十年配の博徒である。
「御本尊に向かって、朝晩、勤行するだけのことですわ。それが基本ですよ」
青年の言葉に、”監房長”は考え込むようであった。
「ほう、それだけでっか。・・・ しかし、信心したとなると、酒は飲んだらあかん、遊んだらあかん、ということになるんと違うんか?」
「そんなことはない、正しい宗教につくことが、いちばん大事なことです。
それだけでも因果の理法(仏法では、全ての現象は因果律に貫かれているととらえる)で、今までの人生は、がらっと変わってこなければならんわけです。
そして、御本尊に向かって、毎朝、毎晩、勤行するんやから、これまでのいやな人生が、めきめき変わって、楽しい人生になっていくんですわ。
酒が好きなら、楽しい酒が飲める。遊ぶのが善かったら、心から楽しめる遊びをすればよい。
日蓮大聖人様は、お弟子さんに、”女房と楽しく酒を飲みなさい”と言われているぐらいです。
この信心は、道徳を教えるのではない。
窮屈なことは、勤行除いて何もないんですわ」
「ほう、日蓮さんは、お酒を楽しく飲めと言うてるのか。わしらの仲間やな」
”監房長”は、わが意を得たように笑いだした。