(『人間革命』第10巻より編集)
105
〈険路〉 10
怯えているのは、必ずしも組織の先端の会員ではない。首脳幹部たる君たちの心ではないかー との指摘は、深く、彼らの胸の奥に突き刺さった。
彼らは、今、この事件に、いかに対処すべきか、思いあぐねていたからである。
山本伸一の眼光は鋭く、一人ひとりの胸を刺すようにきらめいた。
「今こそ、私たちに信心がなんたるかを、思い起こしていただきたい。
『この法華経をたもつ者は、難に遭うと心得てたもつなり』というお言葉があります。
法華経をたもつ私たちは、このたびの難を、当然のこととして心得なければならない」
彼の厳しい口調は、さらに進んだ。
「しかし、日蓮大聖人の難に比べれば、難というのも、おこがましいような難ですが、凡夫の拙さで、大なり小なり影響を受けずにはすみません。
電光石火、どう対処していくかが、現在の最大の課題です。
どこまでも、金剛不壊の信心にこそ、解決の指針を求めなければなりません。
かって、四条金吾が、処世上の難に遭った時、大聖人様から与えられた御手紙があります。
彼は、御書を拝読した。
「『なにの兵法よりも、法華経の兵法を用いるべし、・・・』
どのような作戦よりも『法華経の兵法』すなわち信心を根本にしていくべきである。
法華経に、『諸余の怨敵は、皆悉く、衰え滅びる』とある御金言は、決して嘘ではない。さまざまな兵法や剣術の根本原理は、この妙法から出たものである。
このことを深く信じていきなさい。臆病であっては、何事も叶うことはないー との意味です。
(つづく)