なにの兵法よりも、法華経の兵法を用いるべし | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

      (『人間革命』第10巻より編集)

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         〈険路〉 10

 

 怯えているのは、必ずしも組織の先端の会員ではない。首脳幹部たる君たちの心ではないかー との指摘は、深く、彼らの胸の奥に突き刺さった。

 

 彼らは、今、この事件に、いかに対処すべきか、思いあぐねていたからである。

 

 山本伸一の眼光は鋭く、一人ひとりの胸を刺すようにきらめいた。

 

 今こそ、私たちに信心がなんたるかを、思い起こしていただきたい。

 

 『この法華経をたもつ者は、難に遭うと心得てたもつなり』というお言葉があります。

 

 法華経をたもつ私たちは、このたびの難を、当然のこととして心得なければならない」

 

 彼の厳しい口調は、さらに進んだ。

 

 「しかし、日蓮大聖人の難に比べれば、難というのも、おこがましいような難ですが、凡夫の拙さで、大なり小なり影響を受けずにはすみません

 

 電光石火、どう対処していくかが、現在の最大の課題です。

 

 どこまでも、金剛不壊の信心にこそ、解決の指針を求めなければなりません。

 

 かって、四条金吾が、処世上の難に遭った時、大聖人様から与えられた御手紙があります。

 

 彼は、御書を拝読した。

 

 「『なにの兵法よりも、法華経の兵法を用いるべし、・・・』

 

 どのような作戦よりも『法華経の兵法』すなわち信心を根本にしていくべきである。

 

 法華経に、『諸余の怨敵は、皆悉く、衰え滅びる』とある御金言は、決して嘘ではない。さまざまな兵法や剣術の根本原理は、この妙法から出たものである。

 

 このことを深く信じていきなさい。臆病であっては、何事も叶うことはないー との意味です。

 (つづく)