(『人間革命』第7巻より編集)
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〈水滸の誓〉 29 完
戸田が、解答を拒否したのは、珍しいことであったが、好奇心の赴くままの質問に答えるには、事は、それほど軽々しい問題ではなかった。
ともあれ、仏法の悟達にかかわる重大事を、軽はずみな好奇心で汚されることを、彼は断固として拒否したのである。
彼は、曲解を恐れた。
水滸会の青年たちは、生命の奥底を体得した戸田の悟達を理解するには、まだ、あまりにも未熟だったのである。
水滸会にまつわる話を、ことごとく記述するとしたら、何巻もの書物になろう。
振り返ってみれば、戸田の言説は、すべて遺言の響きをもっていた。
彼は、未来にわたる広宣流布の道程を、政治、経済、教育、芸術等の多方面にわたって語り、この長遠にして未聞の宗教革命の遂行を、選ばれた青年たちに託したといってよい。
戸田は、あらゆる分野に、仏法の人間主義の精神を脈動させ、より良き社会の建設に一身を捧げる革命児としての青年たちを、せっせと育て上げていったのである。
四十三人の署名で第一期を発足した宣誓後の水滸会は、順次拡大されて第三期に進み、百二十人まで達し、昭和三十一年五月をもって、ひとまず終わっている。
この間、約三年の歳月に、『水滸伝』から始まったテキストは、『三国志』 『モンテクリスト泊』『隊長ブリーバ』『九十三年』などに移り、戸田は、構想を語って尽きなかった。
わずか三年の、厳しくも楽しい薫陶ではあった。
だが、この間に、広宣流布の軌道は明確に、着実に敷設されつつあったのである。
これらの青年は、その後、創価学会の中枢として、また、政界、経済界、教育界、芸術界、その他、社会の第一線で、存分に力を発揮してくことになるのである。
山本伸一は、わが生命の奥に、広宣流布の軌道を敷く思いの三年であった。