語学の達人が、何人いても足りなくなるだろう | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

               (『人間革命』第7巻より編集)

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        〈水滸の誓〉 23

 

 (つづく)

 今のところ、世界の民衆は、まだ夢にも御本尊の存在を知らないでいる。

 

 しかし、物質文明の極まるところに、早くも人類滅亡の兆しを感じている。遠からず、それが不可避だと悟る時がやって来る。

 

 

 その時、民衆は御本尊の存在に気づいて渇仰するに決まっている

 

 その人びとを、一体誰が指導するのかといえば、まず諸君たちであり、また諸君たちの後輩です。

 

 今は、そう言っても、ずっと先のことを言っているように思うだろうが、物質文明の行き詰まる速度は、意外に速いようだ。

 

 十年、二十年のことではないにしても、二十一世紀までには、その限界が見えてくるだろう。

 

 これは、もう確定的なことと言っても差し支えないことです。

 

 こういう時代が到来した時、君たちは、いったい、どうするつもりか! 君たちの生きねばならない時代なんだよ!」

 

 確信に満ちた予見を披露すると、戸田は、一人ひとりの顔をじっと見つめた。メガネの奥で、彼の眼が鋭く光っていた。

 

 青年たちは、「その時、どうするか」と具体策を問われても、壮大な夢に酔ったように、ただ興奮するばかりであった。

 

 山本伸一が、立ち上がった。

 

 「先生、そのような時代に備えて、私たちは、今からでも語学の習得を心がけねばならないと思います。

 

 世界広布の順序からすると、どの国の言葉を、まず習得すべきでしょうか」

 

 「その通りだ。いくら御本尊の偉大さを知っていても、言葉が通じなくては、相手にわからせることはできないからな

 

 黙っていて、わかることではない。

 

 広宣流布というのは、思想戦であり、言論戦であるはずだ。書きに書かねばならないし、しゃべりにしゃべりまくらなければならない作業であり、大運動だ。

 

 それを世界的規模で行うことになると、よくよくの大運動ということになる。語学の達人が、何人いても足りなくなるだろう