戸田城聖、独特の読書経験 | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

    (『人間革命』第7巻より編集) 

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       〈水滸の誓〉 15

 

 (つづき)

 小説を読むということは、書かれた事件なり人生を、読者が経験することだといってよい

 

 だから、さまざまな小説から、実にさまざまな経験をすることができるわけだ。

 

 青年のうちに、古今東西の名作を読むということは、古今東西の得がたい経験を積むことと同じです。

 

 思索しながら、心して読まなければ、名作小説の価値はわかりません」

 

 読書法についての、戸田の含蓄のある指導であった。

 

 もし、この読書法を忠実に実行するならば、青年たちは、若くして、ありとあらゆる経験をすることも可能なはずである

 

 その経験の累積によって、自然に周囲の人物も正当に鑑別することもできよう。

 

 これが、将の将たる者の第一の資格であろう。

 

 自分の人生を見つめる眼を開かなくては、生涯の大事が成就するはずがない。

 

 人が一生の間に体験することは、まことに限られたものである。

 

 だが、読書によって、他人の経験を自分の経験として体験することは、人生の深さと、世間の広さを、まざまざと知ることだといってよい。

 

 戸田が、青年たちに、思索と読書を強要するまでに求めたのは、彼独特の読書経験に確信をもっていたからである

 

 「作者の言わんとする思想を、よく見極め、登場人物を自分の身近なものとして、よく思索することが、小説を読むということだ。

 

 それと同時に、作品の時代背景というものを、決して忘れてはならない。どんな人間も、時代の動きから免れることはできない。

 

 時代の外には行けないものだ。

 (つづく)