(『人間革命』第3巻より編集)
50
〈漣(さざなみ)〉 9
(つづき)
これに気づけば、根本は、人間それ自体が革命されない限り、どんなに有効に見える対策も、表面的な空念仏に終わるのは、当然ではないだろうか。
人類の歴史は、ただ、こんなことばかり繰り返してきた。そのくせ、政治革命や、社会革命は信じても、人間一人が宿命転換し、自らの人間革命をなし得るという、大聖人の生命哲学は、なかなか信じようとしない。
これこそ現在の、最大の悪の根源といえるだろう。
これを見極めたわれわれの活動は、このような悪の絶滅する戦いになっているんです。これが確実無比の戦いだということを、断言しておこう」
「それは、よくわかるんです。しかし、先生、今度のような事件を目の前にすると、私には、どうも、手ぬるいとしか思えなくなりました」
「君の正義感は尊いが、既に過去の歴史に、君と同じ考えをもった先輩がいたのだ。それが、例えば暴力主義に走るテロリストたちだ。
少しばかり真剣に考えれば、一応は、たどり着く結論といえるだろう。だが、これはまことに幼稚極まりない考え方だ。
なぜかというに、いつも言う通り、仏法は三世にわたる、厳然たる生命の尊厳を説く。
したがって、人を殺すことは、これ以上の罪悪はない。
人が人を殺す。それで社会が住みよくなったような気がしても、それは独り善がりです。
因果の理法は、どうすることもできまい。テロリストの末路というものは、必ず悲惨のものだ。
ところが、大聖人の広大無辺な仏法は、やがて、どんな人間でも救いきることができるんです。
・・・ 私が、今、命をかけて戦っているのも、そのためだ」
みんな、なんとなく不可解な顔をしていた。