初めまして!

現在体育会アスリートTがこのブログを通して、スポーツについて考えたことや感じたことを発信していきます。

初回は鋼の錬金術師(ハガレン)からの学びについて紹介します

 

いきなりスポーツは関係ないです笑

すみません!

 

最近はまった鋼の錬金術師(ハガレン)からの学び

 

最近はまった鋼の錬金術師(ハガレン)からの学び

 

名前は知っていて面白いという噂は聞いていたが、予備知識ほとんどなしで一気見した。もし見たことがいない方(あまりいないのでは)はぜひ見てほしい!

めちゃくちゃ簡単に言うと錬金術師兄弟のダークファンタジーだ。

幼少の頃、流行病で愛する母を失ったエルリック兄弟が錬金術で、母親の蘇生(人体錬成)を試みるが失敗。兄エドワードは右腕と左足を、弟アルフォンスは全身を失う。
その後、国家錬金術師となった二人は元の身体を取り戻す方法を求めて国中を旅する。その過程で、国家を揺るがす謀略に気づき、巻き込まれていく。

まとめるとこんな感じかな?笑

 

ハガレンには多くの名言があるが中でも以下の2つについて書こうと思う。

1  「一は全、全は一」

 

これは、エルリック兄弟の師匠から弟子入りのときに師匠から与えられた試練である。兄弟が出した答えは

一は俺、全は世界

自分の解釈としては、世界は原子レベルの無数の一がつながりあってできていて、

極限まで縮小していけば、

一は全

極限まで拡大すれば

全は一になる

 

である。

 

宇宙レベルで自分の存在はめっちゃ小さいもので、存在しているかしていないかわからないくらいである。たまに自分の存在意義や価値が分からないという人がいるが、微力ではあれど突き詰めると世の中に自分と無関係なものはないといえると思う。

ここから自分が社会とどうかかわっていけばよいのか、自分がどうしたいのか、アイデンティについて考えることができた。

 

2「等価交換」

二つ目は等価交換である。

作中では錬金術を「物質を理解、分解、そして再構築する」最先端の科学と定義している。錬金術は物質の性質と形状を変化させることができるが、無

から有を生み出すことはできない。そして、錬金術師の力量を超える錬成をすると、追加の代価として肉体を持っていかれる。つまり等価交換の原則である
そしてこの等価交換は、作中では、錬金術の法則としてのみならず、世界の理としても、人間への教訓としても語られる。

その等価交換の法則を破る(ように見える)アイテムが、賢者の石である。これを錬金術の触媒として用いると、未熟な錬金術師でもわずかな代価で絶大な錬成を行うことができるようになる。また、人間に埋め込んだりすることにより、人間より優れた生命体・ホムンクルスを生み出すことができる。
エルリック兄弟は初め、元の身体を取り戻すために賢者の石を追い求めるが、「賢者の石の材料は、殺された複数人の人間の命(魂)である」ということを知ってからはこれを諦める。

等価交換というのは無から有を生み出せないことも示す。無からは何も生み出せないので自分が情熱や価値など相手のプラスになることを相手に当たられるようにならないといけないと感じた。

昔は物々交換で食料などを調達していた。現在ではお金とモノのを交換している。等価のみならず、10もらったら1上乗せして11で返す。最後のほうでアルフォンスは言っている。損得だけで考えるのではなく人にGIVEできる人でありたいと感じた。

 

物事には何かしらの代償が必要である。時間であったり、楽なことを我慢するという代償を払ってでも今この一瞬に何をなすべきかが大切だと思う。

 

 

痛みを伴わない教訓には意味がない、人は何かの犠牲なしには何も得ることはできないのだから。しかし、その痛みに耐え、乗り越えたとき、人は何物にも負けない強靭な心を手に入れる。そう、鋼のような心を。

 

今をどう生かすか。

 

ありえないことはあり得ない