映画「ファーザー」哀しい。 | 休日の雑記帳

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制作年:2020年

制作国:イギリス・フランス・アメリカ

 

年寄り笑うな行く道だもの。誰も悪くないのに、老いるというのはこんなに悲しいことなのでしょうか。アンソニー・ホプキンスの演技が素晴らしくて、悲哀感が忘れられない作品でした。

 

☆あらすじ☆

 

認知症を患い始めた父、アンソニーを放ってはおけないものの、自身の仕事と生活で手が回らない娘のアン。介護人を雇うも、気難しく癖の強いアンソニーと相性が良い介護人はなかなか見つからなかった。アンの夫はアンソニーを施設に入れるべきだと主張するが、アンソニーは頑なに長年暮らした自分の家から出ることを拒んでいた。

 

お勧め ★★★☆☆

 

素晴らしい作品だからこそ、辛くて視聴をお勧めしづらい映画です。しかしこれを見れば、「老害」なんて残酷な言葉を使うのをためらうようになるかもしれません。身近にいる迷惑な老人たちにも、彼らなりの事情があるのかもしれないと想像すると、ちょっと優しい気持ちになれるかもしれません。もちろん中には特に事情などもなく、ただ嫌な人が年を取っただけの例もあるとは思いますが。

 

認知症はなりたくてなるものではなく、現時点の医学では、努力をすれば罹らずに済むようなものでもありません。昨日までできたこと、わかっていたことができなくなる、わからなくなる不安、恐怖、苛立ち。そんな認知症患者の苦しみが、アンソニーの視点から描かれた本作品は、時系列も登場人物のセリフも状況もばらばらで、これが認知症患者が経験している日常なのだと思うと、胸が詰まるような気持ちになりました。

 

アンソニーと接している側からすると、ヒトを傷つけるような言葉を平気で投げかけ、自分一人ではできないことがたくさんあるくせに頑固でプライドが高く、それこそ「老害」と罵って舌打ちをしたくなるような状況なわけですが、そのような振る舞いをしてしまう状況、心情が、アンソニー・ホプキンスの素晴らしい演技によって痛いほど伝わってきました。

 

自分の身近な人がこのような状態になったとき、果たして自分はアンのように慈悲深く接することができるだろうかと考えると、非常に難しく思えます。アンソニーの人柄にまいって辞めてしまう介護人たちの辛さもわかるし、アンソニーにひどく当たってしまうアンの夫たちの気持ちも、ひどいものだと思いながらも理解できてしまいます。

 

だけど、アンソニーのこの姿は、すべての人々に将来必ず訪れるかもしれないのです。そう思うと、自分の老後への怖さとも相まって、今老いている人たちに、わずかでも慈愛の気持ちを持つべきなのだではないかと考えさせられました。

 

施設に入れられたアンソニーが、まるで子供のように母を求めて泣きじゃくるシーンには耐え難いものがありました。年を取るとともに、ヒトは赤子に還っていくといいます。いい年をした大人が、と言われるべきは壮年期までで、長い人生を生き抜いてきたお年寄りが、子供に還って甘えたっていいじゃないですか。そう思うと同時に、これがどれほど残酷な綺麗事なのかもよくわかります。実際介護をする立場に立った時に、赤子と違って体は大きく、力や体力もそれなりに残っていて、認知症とは言っても知恵も言語も持っている大の大人が罵詈雑言を吐き、狼藉を尽くすこともあるのですから並みの忍耐では務まらないでしょう。

 

ではどうすればいいのか、難しい問題ですが、個人的には自身の老いを認め、受け入れて行けば多少はよい状況になるのではないかと思いました。認知症患者が焦りや不安を感じるのは、できていたことができなくなるのがいけないことだと考えているからでしょう。状況は日々変わっていくのだから、昨日と同じ自分でなくてもいい、大丈夫なんだと、安心して年を取っていける社会になれば、苛立ちをぶつけ、他人を傷つける患者は減るのではないか、などと想像してしまいました。

 

もっとも認知症には狂暴性や被害妄想が肥大していくものもあるそうなので、そんなに簡単にはいかないと思いますが、日本特有の若いのがいい、幼若なら許される、といった社会風潮も変わっていけば、少しは安心して年を重ねていける社会になるのではないかと考えさせられた作品でした。