最近の京都新聞に、市交通局が「七条」の読み方を、「しちじょう」では「一条」や「四条」との聞き間違えなど起こりやすいため「ななじょう」と統一し市バスの停留所名も「ななじょう」と表記することにしたと報じられている。これに対し一部の文化人からは、「ななじょう」では京都の風情がなくなると、異論が出ているという記事があった。
私は、交通局の決定はそれはそれで良いと思う。もともと、京都人の読み方は「ひっちょう」だったと覚えている。子供のころから七条に住む叔父さんは「ひっちょ(う)の叔父さん」と呼んでいたし、聞き間違えを避けるために電話などでは「ななじょう」と念を押していた記憶もある。京都の風情とと言われてもピンとこない。
京都の通りの名や、地名でも読みにくかったりして変えられている例はいくらでもある。「冷泉通」(れいせん)は、(れいぜい)が本来だし、「勧修寺」(かんしゅうじ)も、寺の名前は(かじゅうじ)だ。それに、関東の一部の人は「ひ」と「し」
の区別に難儀している人もいるから、表示などは、わかりやすく「ななじょう」とするのに異を唱えることもあるまい。かえって些細なことにこだわるとせっかくの「おもてなしの心」も台無しである。