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いつも秋の彼岸に咲く彼岸花。
今年はいつまでも続く暑さのため、今頃盛んに咲き始めているよう。
地獄の暑さも少し和らぎ、やっと出かける気分になったこの頃です。
さて、
「料理屋兼越生座の「菊屋」の前の坂道を人々は菊屋の坂と呼んでいた。」
その昔「菊屋」という料理屋と越生座があった場所を訪ねるべく埼玉県越生町へ行きました。
菊屋のあった場所は越生町役場信号の近くにあり、県道30号を越辺川方向へ少し入ったところにある。
しっかりと史跡の表示がされているのでありがたい。
1995年、いまから28年前は以下のような形を留めていたのです。
2023年はこのような状態。
まだ壊れた建屋の残骸が残っている。
大正末期新道開通まで道路はここ通っており、江戸時代から続く料理屋「菊屋」は明治13年(1880)には舞台を常設。歌舞伎、新派、活動写真をやり、濃尾の大地震(明治24(1891年)、岐阜県根尾谷を震源地とする大地震。7.273人が亡くなる。)の孤児という楽隊で日露戦争の写真が上映されたとある。
跡形も無くなってはいないが、この遺構?が無くなるのも時間の問題か。
そして、この裏には越辺川が流れていて、そこにはある妖怪が住んでいたそうな…
その妖怪については、また、次のブログにて。
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それでは👋