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埼玉県日高市にある高麗の郷は、曼珠沙華の群落で有名な巾着田のある所。

秋のお彼岸の頃はたくさんの観光客が訪れます。




あと、日和田山から奥武蔵の山を歩く登山コース🥾や男岩などのクライミングゲレンデ🧗🏻‍♀️を楽しむために訪れる人が多いですね!




今回は巾着田近くの梅原の里に、奥武蔵の剣豪の足跡を訪ねた記録をアップします。





場所は西武池袋線高麗駅から歩くと、巾着田を過ぎ高麗小学校の角を曲がってしばらく行くと、火の見櫓が見えて来ます👇





火の見櫓が見えたら左手に入る道があり、少し進むと満蔵寺があるので、まずはそちらに向かいます。





こちらは、地蔵堂です。





満蔵寺の説明書きの終わりの方に、

「この梅原の地は、幕末から明治にかけて甲源一刀流のすぐれた使い手を出しており、なかでも比留間半蔵は剣豪として特に有名である。」とありますね👇




そういえば、

幕末の剣豪というと、新選組一番隊隊長沖田総司がいますねー。

彼の剣の流派の天然理心流は今も続いていて、京都の壬生など4ヶ所の道場があるようです。



あとは、人斬り抜刀斎こと緋村剣心!

彼の剣の流派は飛天御剣流で、師匠は比古清十郎。

な〜んて、この人たちは「るろうに剣心」の登場人物ですね😅

佐藤健さんの剣心、福山雅治さんの清十郎カッコいいですね!




話が脱線してしまいましたが、この梅原の剣豪の名は、

比留間半蔵といい、江戸幕府御家人「八王子千人同心」へ甲源一刀流を指導していたのです。


甲源一刀流とは秩父の逸見太四郎義年が創始者で、今でも小鹿野町の道場は健在で資料館もあるらしいです。


義年の傑出した門人だった父である比留間与八が開いていた道場で半蔵は剣を教わったとのこと。




こちらは、おそらく道場があったであろう場所で、比留間家のお屋敷が残っていますが、人の気配は無さそうでした。





敷地の一角の道沿いに石碑が建てられていました👇

題字の「比留間先生寿碑」は、江戸城開城に貢献したやはり剣客の山岡鉄舟の書だそうです!




なかなか読むことが難しいのですが、「天下剣客」や、



「半蔵」などの文字を見つける事ができます!




こちらは裏面。建碑の発起人の人々の名前がたくさん彫られています。







梅原から日和田山を望む。



のどかな里の景色です。



訪れたのは梅の咲く頃でした。ほっこりする梅原の里。




さて、時代は半蔵から良八に代わり、良八は後の十五代将軍一橋慶喜の警護役となり、幕末動乱期に各地を転戦。上野戦争では彰義隊14番隊長として戦い、飯能戦争にも従軍したとあるので、渋沢平九郎や尾高惇忠、渋沢成一郎と対面したこともあったのでしょうか…



敗戦後は越生の田島家に養子に入り、農業の傍ら道場を開き、のちに日本体育会越生支部撃剣場長に就任されたそうです。


 

また、子の権現には比留間良八の寿碑が建っているそうなのですが、気が付かなかったなぁ😅

花粉の時期が終わったら子の権現に行って見てこようかな〜







ご覧になっていただき、ありがとうございました😊

それでは👋