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埼玉県ときがわ町にある慈光寺。
鎌倉時代には75坊が建ち並ぶ巨大勢力を誇りました。


慈光寺のHPには、この寺にまつわる伝説が載っていたので簡単にまとめてみました。



①「仁王奇行」


西平の集落から山へ登る参道の途中にある板碑群👇




この場所にある説明書によると、昔ここに山門があり、仁王様が結界を守っていたそうです。




昔この門の近くに母子が住んでおり、母は子どもが泣くと仁王様にくれてしまうと言っていたが、ある時子どもの泣き声が聞こえず、姿も見えない。

思いついて、慈光坂を駆け登り仁王門へ行くと、仁王様の口に見覚えのある付け紐が下がっている。

母は怒って仁王様を谷へ突き落とし、仁王様も仕方ないと「オホホ、オホホ」と苦笑いしながら落ちて行った。

今もそこをオホホ沢と呼んでいる。

オホホ、オホホと笑いながら仁王様はビリビリとオナラをしたので、後の人はそこをビリ沢という。

都幾川に流れて行った仁王様は川下の人に拾われて元のところへまつられた。




女人堂で二股の道が分かれ、右へ登ると慈光寺への参道、左へ行くと確か沢があったような記憶があります。

オホホ沢とはここのことでしょうか😁


仁王様は残念ながら、昭和60年11月に消失してしまっています。





②「夜荒らしの名馬」


観音堂の天井を見上げると…



白馬がつる下げられていますびっくり


左甚五郎が彫り進み、目を入れるとふと荒々しい気持ちになって、この馬は気性が荒いようだと言った。


この馬は夜になると、そっと抜け出して付近の畑の作物を荒らし回った。
百姓たちは怒って、尾を切ったり、口を鉄鎖で縛ったりして、観音堂へ納めた。



HPでは、3つの伝説が紹介されていましたが、その中の2つを載せてみました。


ご覧になっていただき、ありがとうございます😊

それでは👋