君こそライオンズ/西郷輝彦 | 矢田川極塾 第三校

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流浪の極塾、今度はステージをアメーバへ移し、
三回目の再起動ってか。

君こそライオンズ/西郷輝彦

(クラウン CW-1442)

西鉄が身売りして1973年に誕生した、

太平洋クラブライオンズ。実はある個人の

球団であったことは熱心なプロ野球ファン

でも知っている人は少ない。

今でこそ知られるようになった、

ネーミングライツの先駆けである。

ようは太平洋クラブは持ち球団ではなく、

スポンサー料を払って冠被ったのだ。

後のクラウンライターも同じ。


で、これは1974年西郷輝彦歌唱の

太平洋クラブライオンズの応援歌。

ジャケ写真は1974年6月4日の

太平洋対阪急ブレーブス戦。


投げている投手は今を煌めく、

ソフトバンクホークス柳田悠岐選手の

叔父、柳田豊氏。(その後近鉄へ移籍)


当時結構売れたみたいで、博多では

中古ではダブつき気味で、全く珍しくも

なかったのだが、ある時、webで

見たこともない応援団のジャケを見た。

今年ようやく入手した。そのジャケを見て

なんでこんなに苦労したのか分かった。


翌1975年、江頭新監督が就任。

なんかすごく盛り上がっていたような

感じだったのを覚えている。

応援歌も一新、地元放送局のアナウンサー

の歌唱する音頭調の曲と子門真人の歌う

曲に変わった。

惚れたぜライオンズ/ぼくらの憧れライオンズ

中村基樹/子門真人

(東宝 AT-1113)

当時かなりプッシュされてた気がする。

近所の婦人会のおばさま方が踊りの稽古を

していたのを公民館で見た覚えがある。

問題は子門真人と少年ライオンズが

歌唱するB面の方だ。特に3〜4の歌詞だ。


3番 江頭監督 あのファイト

        じんとくるんだ 泣けるんだ

         加藤田中に 東尾が

         投げる魔球だ 火の玉だ

4番 基、国貞、竹の内

        意地と度胸で たたき込め

        白にビュフォード 土井アルー

        胸も高鳴る 打撃陣


いやぁ今こうして思い出しても胸熱だなあ。

懐かしいわ。


太平洋クラブライオンズは、1976年で

終了し、1977年からは、博多の

ライオンズとしては最後になる、

クラウンライターライオンズが誕生。


1976年はどうしたのか知らんけど、

監督もメンバーも変わった応援歌は

当然使えない。新たな応援歌も作れない。

そこで君こそライオンズ再登板と

なったのではないか?

それゆえにほとんど売れなかった?

てか、全然売れてないっちゃない?



この2ndジャケにクラウンライター

ライオンズとクレジットがあるとは

思いもしなかった。写真はたぶん

開幕戦だろうね。一杯入ってるね。

でもよく見ると、球団旗が違うね。

で、この2ndジャケは西郷輝彦ファン

からの放出品だと店主に聞きました。


どちらのレコードも素で歌えます。

いまでも。