東京都美術館のマティス展に駆け込みで行ってきました。
東京都美術館は2019年?のクリムト展ぶり。
障害者手帳が降りたので無料で観覧してきました。本当にありがたいです。一方で難病ではこの恩恵は受けられないのでなんだかなという気持ち…
私の状態は何も変わってないのにね。
終了まであと2週間弱ということで、人もたくさんでした。
上野駅出てから辿り着くまでの道のりがとにかく暑すぎた…
ついてからは1階カフェでランチ。小麦粉制限してるのに、美味しそうでついこんなメニューを食べてしまったのでお腹がコポコポしました
も自分のお弁当。結構カフェにはベビーカー、子供連れの人がいたので美術館にもいるのかと思いきやそれほどはいませんでした。やっぱり静かなところだから気が引けるよね。
というわけで展示見てきましたが、この人の多さ!
マティスを特集した展示はおよそ20年ぶりとのこと。
フォービズムという文脈から語られることの多いマティスですが、版画や切り絵、礼拝堂のデザインなど、それ以外の様々な切り口から彼の作品を見ることのできる展示でした。
息子が騒いだら出てこようと思いましたが、人と人の間から身を乗り出して絵を見たりして、オレンジが描かれている作品(オレンジのあるヌード)などはもう一回見る、などと言ったりしていて、思ったより静かに集中して見てくれてびっくりしました。
銅像の作品も、人がモチーフの作品に関して、指差して「お父さん」と言ったり
ブロンズで、背中という一連の作品(一連を想定されて作られたものではないらしいですが)が、どんどん平面に抽象化していく像、どこまで平面にするとそれ自身がなくなってしまうのかの挑戦のようで、マティスがまさにキャンバス上で行ってきた挑戦と重なるようでとても興味深い作品でした。
フォービズム的作品に取り組む前に、マティスが点描の画法を用いて描いた「豪奢、静寂、逸楽」もありました。
シニャックの影響(ひと夏一緒に過ごした)を受けて描いたものだそう。ちなみに点描といえばのスーラは31歳の若さで亡くなっているらしく(死後シニャックがその画風の普及に務めた)、同い年で亡くなっているんだと不思議な気持ちになりました。
そんな若さで亡くなっているのに、その作品がこんなに後世に残り、異国の全く関係ない一市民でも知っているものとなる。まさにミームですよね。
マティスの話から外れました笑
「黄色と青の室内」
「若いスペイン女性」夫は好きな画風だったそうです。
ちなみに夫は全体を通してあまり好みの画風ではなかったらしく、落書きみたいだ、どんな気持ちで見ればいいんだって言ってました。そんな気持ちを抱くこと自体を受け入れて、その気持ちを相対化してみたら面白いんじゃないかと言ってみましたが、正解がわかりません笑
コリウールのフランス窓や、窓辺のバイオリン奏者、金魚鉢のある室内など、窓が印象的なモチーフとなっている作品群も一連で展示されていました。マティスの筆致だからこそ、窓の暗さに引き込まれそうにもなります。
晩年に体調を崩してからは、その制作の方法を見直し、切り絵という方向に転換します。
展示はなかったけど、ダンスなどが有名。
展示の最後はヴァンス・ロザリオ礼拝堂の展示。マティスが最期に行った仕事です。
礼拝堂の陶板や磔刑像、聖櫃などのデザインが展示してあり、最後には礼拝堂の実際の様子が5分程度の映像作品として公開されていました。
ステンドグラスから差し込む光やその角度によって、燭台が青や黄色に綺麗に彩られる様子はとても綺麗でした。
告解室の窓枠の模様は物販で風呂敷になっていました…人が多すぎてちゃんと見れなかったから買えなかったけど、今思うと買えばよかった!!
6月ぶりに美術館に行きましたが、マティスの絵から生命力のようなものを感じ、家に帰ってからもじっくり余韻を楽しめる展示でした。上下移動が多く、ベビーカーでは結構大変でしたがそんな中でも行ってよかったです。
最後の物販もかなり充実しており、中でも元々の絵の縦横比に合わせて作成された変形サイズのクリアファイルがよかったです。版元から加工の許可が降りなかったらしい。
グッズの展開、どこかで見たことがあるような雰囲気だなと思ったら、三菱美術館の運営してるところだったんですね。ガブリエルシャネル展で見た雰囲気と似ていて既視感がありました。
ポストカードとクリアファイル、マグネットを買って帰る。
帰りに上野動物園を少しだけ見て帰ろうと入り口から入ったら、なんと入り口と出口は別というトラップで、猛暑のなか少々歩いて象さんを横目に出口へ笑
息子はぞうさん、ぱおーん!と大喜びでした。
帰ってからも、ぞうさん、みんみん、あちち!と今日のことを振り返っていて、一緒に行ってよかったなと思いました。
だんだん過去のこともおしゃべりできるようになってきて、本当に日々コミュニケーションが楽しいです。