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3年前の今日、今や日本人の誰もが知ることになった3.11。

あれから3年が過ぎましたが、今も約26万人の方が
避難生活を余儀なくされています。


改めて、被災されました皆様にお見舞い申し上げます。


未だ進まぬ復興、そしてその一方で、徐々に風化して行く記憶。

忘れ去られて行く教訓。


今一度、防災リュックの中身のチェックをしておきましょう。



今、再び、3年前のあの時と良く似た星の配置になっています。

それがこの3月、春分の前後です。



思えば3年前、都心で両足を骨折した私は、アスファルトの上に横たわり
運よく呼ばれた流しのタクシーに引きずり込まれるように乗せられ、
そのまま都内の救急外科病院に運ばれました。


地震の直後、すでに電話などの通信網は遮断されていましたが
都内には、幸運にもまだ流しのタクシーがいたのです。


診察結果は、両足骨折、要手術、即入院との診断でした。


5階の病室に入院することになったのですが
既にエレベーターの電源はストップ。


理学療法士の先生ふたりがかりで交代で私を背負い、
階段の踊り場で交代しながら、5階まで運ばれました。


誰もが初めての、緊急対応の実践の場でした。


入院先の病院では、まるでテレビドラマではないのか
と思うような日々が続きました。


夜中、けたたましく鳴るパトカーの音。

それに混じって救急車の音、消防車の音。

交差点では鳴りっぱなしのクラクションの音。


テレビコマーシャルは中止され、「AC~」という
サウンドロゴの繰り返し。



何もが初めてで、こんな現実があるのか、と耳を疑うような日々でした。

11日の夜、22時を過ぎて、やっと家族の無事が確認できました。



怪我もなく、無事にいるとのこと。

ただ、自宅のエレベーターホールは天井が崩壊、抜け落ちているとのこと。

それさえも退院までは見ることができません。



しかし、テレビで見る東北の惨状はそれどころではありませんでした。



そんな複雑な心境の中、私はこのblogで、
自分が怪我をして入院していることを公開して
みんなと共に、復興に向けて立ち上がろう、そう思ったのです。

3年前の3月16日、怪我と入院を公開した日の記事



遠くフランスからも、温かいメールを頂きました。
本当に勇気づけられました。

フランスより届いた、日本へのエールの手紙



このYさんとは、今もお付き合いがあります。


あれから3年、時は流れましたが、まだまだ私たちが
やらなくてはいけないこと、やれることはたくさんあるはずです。



今再び、それぞれができる範囲で、できる復興支援をしていきましょう。

この教訓を、永遠に風化させてはいけないのです。



今、再び太陽フレアは活発になってきています。

あの時と同じような、X級のフレアが発生しないことを祈ります。




★上位版ブログ:

てんごく。さんのエターナルワールド


タイトル

再び来るのか天変地異、ふるい分けの時代、生き残る秘訣


弥生3月、1回目の更新です。

今回はそれとは別に、現在感じている時の流れと

今どう生きるか、その重要なポイントについて書いてみました。


そして3.11大震災の直前に近い状態。

太陽フレアがないことを祈ります。


■太陽系惑星直列他の天文現象

■3月、4月、5月の朔弦望(月の動き)


■遂にやって来る3.11の直前と同じ星回りの3月のポイント

■X級:巨大太陽フレアが引き金になる


■ビットコイン事件が暗示したもの

■時の経過が早すぎる、そんな時はここに帰る


■魂の段階の上昇のためには

■魂のふれあいを呼ぶ時と場
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今日もこうしてお読み頂ける方がいるので

頑張って書くことができています。
 



今日も最後までお読みいただき、

ありがとうございます。 <(_ _*)>



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