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王仁三郎氏の生家 瑞泉苑あたりから見た高熊山。

地図上には、高熊山 という山はありません。


王仁三郎氏は、27歳の時、小幡神社の神さまから、高熊山に登るよう
神託を受けます。

そして明治31年、旧暦2月9日より1週間、飲まず食わずで霊界を
旅することになります。

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春だというのに、なぜかここひと株だけ、ススキが。

それもぐるりと先っぽが渦を巻くようなススキ。

本当に、この道でよかったのか、一抹の不安を胸に、高熊山を目指します。

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すると、「高熊山登山口」とありました。

おーー、良かったです。間違ってない(笑)。


霊界物語には *****

高熊山は、上古は高御座山(たかみくらやま)と称し、のちに高座(たかくら)といひ、
ついで高倉(たかくら)と書し、つひに転訛して高熊山となったのである。

丹波穴太(たんばあなお)の山奥にある高台で、上古には開花天皇を祭りたる
延喜式内(えんぎしきない)小幡神社の在つた所である。

*****

とあります。

つまり、小幡神社は高熊山で、高熊山は小幡神社なのです。


ところどころ、美しいつつじの花を見ながら、一路、岩窟を目指します。

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三つ葉つつじは、瑞の御霊(みずのみたま)と霊界物語にはあります。



20分くらい歩いたでしょうか。

やっと山頂にたどり着きました。

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これが通称:ガマ岩

この岩の下で、王仁三郎氏は修行したとあります。

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ガマ岩の下には、亀岡の町を見下ろせる、坐禅にちょうどいい岩がありました。

たぶん、王仁三郎氏も、この岩に座って修行したのでしょう。

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そして、こちらが、有名な岩窟です。

大本事件の折、この場所も破壊の対象になり、修行した当時とはだいぶ様子が
変わってしまっているようですが、当時の面影は今も残ります。

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高熊山


祭神:大本皇大御神(おほもとすめおほみかみ)

   瑞之御霊大神(みずのみたまおほかみ)



称へ方:おほもとすめおほみかみ 守(まも)りたまへ幸(さき)はへたまへ

    みずのみたまのおほかみ 守(まも)りたまへ幸(さき)はへたまへ

    惟神(かんながら)たまちはへませ
 



大本の出口王仁三郎氏が、ここで修業した、という風に見られがちですが
正確には、27歳の青年 上田喜三郎氏がここで修業をし、霊眼を身につけ
その後、出口なを と会い、出口王仁三郎という名前になっていくのです。


霊界物語



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