1月8日の夜。正確に言うと、8日から9日にかけてのことを備忘録として記します。


いつものように布団に眠る息子を横目で眺めていたら。


お腹の底から
グワ~っと、喜びのキモチが溢れだしてきて、

涙が止まらなくなった。

なんとも言えない、このキモチ。

なんとも言えない、
これが幸せって、心のキモチなんだ、って心底感じさせてもらったような、そんなキモチ。


そして、その瞬間に。

あぁ。
このキモチを体験してみたかったんだ。

肉体を持ち、『愛』っていうのが、どんな感じなのか。

愛する、ってことが、どんな感じなのか。どんなキモチなのか。


生まれてくるときに、この肉体を持ち、何をしたい?と言われたときに、


まず、体って、どんな感覚かも分からないし、

その自分の体から、いのち(かみさま)を産み出せる、って、そんな凄いことができるなんて。


どんな感じか、体験したいから、お母さんになりたい。

人が神様を産むこと。
それを体験してみたかった。

そして、その後、どんな風なキモチになるのか。それを体験したかったんだ、って心底、気付いた。


あー。
私の夢、って。

お母さんになること、だったんだ…

もぅ、
その夢…

叶ってる!


お母さんになる、って。神様を産み出すこと。

だから、かみさん、って呼ばれるんだ。

ほんとにほんとに、肚に落ちた。



あ、
わたし。

一番の願い…

もぅ、すでに叶ってる。

そう気付いた瞬間に。

ほんとに涙がどんどん溢れてきて。
ほんとに幸せなキモチになって。


次の瞬間から。
わき上がるように。


『もぅ、私。今から自分の夢を叶えていっていいんだ!
夢、叶えたらいいやん!叶うし!願ったらいいやん!』

そんなのに、急に、心が変わったんです。

何かの許可がおりたような。難しくは知らないけれど。


そして、いのち(かみさま)を産み出した、世の中のお母さんやお父さんを元気付けたいし、


これから、産むかもしれない人たちに、

いのち(かみさま)を産み、育ませ
てもらうことの素晴らしさを伝える存在でありたい、と願った。

何よりも。
この地球に生まれてきてる人、みんな。

ここに存在してる人もれなく皆さま、ほんとに一人一人が素晴らしく、ユニークな存在だ、ってことをエンパワーする人でいたい。


今まで、色んなことを学んではきたけれど。


この夜の、


子どもの寝顔を見ている、その静かな中で起こった、とてつもない大きな変化は、ほんとに、大きかったのです。


子どもの頃から、いつも、なぜか思ってたこと。


『お母さんになりたい、なんていう誰でもできるのを夢にしてる子ってアホみたい』


誰でもできることなんて、私はしたくない!


そんな思いを勝手にどこかで子どもの頃は持っていた私。



顕在意識では、20代になっても、お母さんになることや、結婚することも

全然憧れなかった私…。


あぁ。

一番大切なことは、一番拒否してる中に隠れてるのね

もう、すでに夢は叶ってる、
すでに、ある。


もう、目の前に、前からずっと、あったよね、って。


そういう前提に自分自身が変化した、それだけで。


世界が全然、違って見える。


お空で順番待ちしている光の子どもたちを、この地球に誕生させるお手伝いがしたい!

つまり、子どもを産みたい、っていう強い願いがあったんだけど。



あ、私。

一番叶えたかった、お母さんになる、ってこと。

うぅん。
お母さんになる、っていうのは、肉体の私が神様を誕生させる、ってことだから。

もぅ、そんなに躍起にならなくていいや。叶えられてるもん。


次に子どもを産もうが産むまいが、変わらないや、って。


目の前に、十分、宝物を授からせてもらってるんだもん、って思ったら。

どんどん気が晴れてった。


翌日、9日。

ラジオの収録でお会いした、産婦人科医の池川明先生と雑談していた、その中でも


長年の、謎だったことが、カンタンに明かになって、とても腑に落ちた。


そして、翌翌日、10日に、たまたまタイミングがあって、お会いすることになった胎話士・レゾナンスシンガーのミキミキさんに。


今、思っている以上だよ、っていうこと。


そして。

恋愛や、パートナーシップに関して、今までに考えたこともないような、

と言うか、

今まで、それが当たり前、って、勝手に思い込んでたことに気付かせてもらって、

そういうパートナーシップ、
恋愛、じゃなくて、愛だけ。


空気みたいなもの。


そんなのがあって、いいじゃん、って思ったら。


すーーっごく更に空気が軽く、
そして、自分だけじゃなくて、周りまで、未来が明るくなった気がした。


よく分からないけど、インスピレーションで、3年前からテラヘルツ波を含む水を飲むようにしていて。


最近、ケイ素を取り入れたくなったら、ちょうどジャストタイミングでミキミキさんから譲ってもらえて。


すべて、ワクワク、自分の体で人体実験中。


翌翌翌日の11日には。
映画、かみさまとのやくそく、の中で。

胎内記憶や、中間世記憶などがある子どもたちが語る場面で。

前の生きてたときに、できなかったことをしよう、とか、恩返しをしようとか、

そういうのを、おみやげって子ども達は呼んでたけれども。

悔いが解消されたら、次に、自分のことができるんだよね
それが達成できてから、自分のことできる。

とか、なんとか言ってて。


私は、悔いだったのか、それは、なんだか分からないけれども。

息子の寝顔を見たときに、溢れだした、愛しいキモチ。

それは、単に、自分の子だから、を超越してて。

大いなるいのちの一粒として、とても感動し、愛しくて。

それを肉体がありながら、感じられたことが、嬉しくて、というようなキモチが勝手に溢れてきて。

色んな自分が持ってきたおみやげを解消していったりすると。


今までやったことなかったような、天然の人、とかにもなってみたりするよ、と子どもたちは、笑ってたな。


命を大事にして、楽しく生きることを、今回の人生では体験しながら伝えたいな。


どんな産み方、生まれ方。
そりゃ、色々あるよね。

でも、ほんとは、そんなん。

関係ないんやわ!

産んだこと。
生まれたこと。

それだけで、完璧だ。

それこそが、愛そのもの。


過去、何度も生きた人生の中で、今、生きてる中で、感じてたのは、

子どもに先立たれた悲しみから自殺して、とても後悔したという思いが残ってたので。その後悔も含めて、子どもの寝顔で解消されたみたい。


ほんとにほんとに、ただの備忘録でした。



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