# 11  ブラック企業と親ガチャと「世界に一つだけの花」~ 娘の就活、私の就活(その3) | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回


 娘が就職活動をしていた頃、正直私は毎日気が気でなかった。
  本音丸出しの表現をすれば、こう思った。
 (こんな世間知らずが、あの小汚く、卑しく、狡猾な魑魅魍魎の跋扈する肥溜めのような世間に飛び込んで働く?冗談じゃないぞ!)。
 私の病的な心配性は、娘ばかりか娘の親しい友人達の就職先にも及び「○○ちゃんは本当に良く考えたのか?」とか、要らぬ口出しをして呆れられた。


 昔、脱サラする前、私も弱気になって2、3カ月ばかり人生二度目の求職活動をしたことがある。当時、マイナビもリクナビもない。あったかも知れないが、今日ほど求人市場がシステム化されていなかった。中途採用はなおさらで、新聞の求人広告だけが頼りだ。
 毎日毎日、眼光紙背に徹す勢いで求人広告を読んでいるうちに、色々なことが分かってくる。その一つは、自分のキャリアは「貿易マン」でありながら、当時中途採用ではこの種の求人は限られていて、門戸を開いているのは「営業職」しかなさそうなことだった。
 私は失望したが、それでもあきらめずにせっせと履歴書を書き、面接に出かけた。
 ある時、「出版社編集員募集」というのがあった。聞いたこともない社名で多少訝しくは思ったものの、「編集員募集」という求人自体が希少だ。元文学青年の私は勇んで面接に出向いた。
 教材のセールスだった。
 もう一つ、忌々しい思い出がある。「貿易要員、急募」というのがあって、行ってみたら輸入カーアクセサリーの店頭販売員だった。
 それでも、私はこの時期に多くを学んだと思う。例えば「ルート営業」とは、早い話が「ネクタイをしめた御用聞き」であり、どんな怪しげなカタカナ和製英語を使っていても、どれだけ耳障りの良い空疎なコピーライティングを連ねようと、御用聞きは御用聞きだ。
 しかし、「営業職」の内、御用聞きはまだ良い方で、下流の方に行けばいわゆるブラック企業が群れを成している。「訪問販売」と言う名の押売りは、今やレジェンドとも言える「消防署(の方)から来た消火器売りを始め、浄水器、寝具、エアクリーナ、屋根瓦の修繕、健康器具、・・・果てはカルトの布教まで、ありとあらゆるガラクタを売りつけねばならない。



        

 私が直接見聞きしたブラック企業の中で最も醜悪だったのは某寝具販売会社だ。
 当時の私は、「#5 角川ホラー文庫『サンマイ崩れ』の読者の皆様へ」で書いた通り、大阪は上本町の狭い貸事務所で「夜逃げカウントダウン」中の貿易ブローカーだった。
 同じ階に、その寝具販売会社が引っ越してきた。
 暫くして、朝と夕方に何やら叫ぶ大声が聞こえてくるようになった。(スローガンとか営業目標を言わされているんだろう)と容易に推測がついたが、私も自分の状況が状況なのでそんなことにかまけている暇はなかった。
 ある夜遅く、仕事を終えて手狭なエレベータホールに行くと、背広姿の男達が5人ほどそこにいた。薄暗い中、薄汚れたPタイルの床に全員が正座させられていた。若者も中年もいたと思う。エレベータの前に座っていた者は、私を通すために膝行して脇に寄ってくれた。
 私は心底おぞ気をふるった。
 こんなペナルティを発案した管理者の愚劣さ、傲慢さ、浅薄さ、それを羊の群れのように受け入れている男達の従順さの両方に嫌悪した。(妻子のため自分が辛抱しさえすれば)とか(ここを首になると他に雇ってくれる所がない)とかいう言い訳は、自分の経験上、8割がたが嘘だと思う。惰性の日々に馴れて、今更の職探しが面倒なだけだ。


 こういう体育会系スパルタ社員教育をやる会社は、今日になっても決して珍しくないそうで、近年の就活生もこんなブラック企業を恐れ、当然何とか忌避しようとする。
 幸い彼らは、私の時代と違ってネットを通した自己防衛のための情報源も多い。だが、如何せん実戦経験が少ないため、事の本質を見逃しがちだ。
 例えば、日経225とかの超一流企業や日本を代表する有名企業なら本当にホワイトか?
 もちろんホワイトだとも!あの寝具屋と違い、一点の曇りもない、真っ白、純白であることは絶対に間違いない!
 ○○建設や△△組の巨大プロジェクトなら、例え孫請け、小孫請けの段階でも、怪しげな人入れ業者が掻き集めてきた未熟練労働者や外国人労働者を絶対に酷使などしない。東電や政府は、福島原発の除染作業員を全国から掻き集める一部の悪徳業者の存在など、全く知る筈がない。皆様の国営放送NHKは、「外部組織」の人間であるカツアゲ屋まがいの訪問営業員の言動などに責任を負う理由などコレッパカシもなく、同様の理由で日本の良識、朝日新聞も、一人住まいの高齢者宅でしつこく勧誘を続ける販売員の振る舞いなどに何の責任もない。従って私も、 「こういう偽善性、本音と建前式多重ピラミッド構造、およびそれらへの黙示的同調圧力が、若者の本来持ち合わせている創造性や活力を萎えさせる」などとは決して思っていない。また、「白日の下で堂々と論戦せず、すべからく臭いものに蓋式処理をする結果、社会はどんどん不透明、非効率になり、無数のタブーが蠅のように湧いて出る」などとは考えもしない。

 


              

 

 子育ての過程で、私は「世界に一つだけの花」という歌を覚えた。聞くや否や、世界で一番嫌いな歌になった。
 小学生は無理でも、せめて中学生にはもっと現実に即した社会教育を施すべきだと私は思う。彼らにもっと実社会の心構えと自衛を教えるべきだ。シンプルに、率直に、「勉強しろよ!学校から一歩外へでたらそこは厳格・非情な学歴社会で、甘っちょろいこと言ってたら一生後悔するぞ!」 と警告してやるべきなのだ。

  この社会教育の講師には、世間に出たことのない教師などではなく、例えばフルコミッションのセールスマン、居酒屋チェーン店やコンビニのバイト店員、自動車工場の季節期間工、解体工、被生活保護者 etc. を招き、低所得や不安定な労働条件について生の実像を語ってもらうことだ。

  社会のネガティブな側面だけを少年達に強調するのはいかがなものか?などという反論は、近頃中学生でも口走る「親ガチャ」という言葉であっさり一蹴される。

   甘ったれた、しかしまぎれもなく御明察であるこの表現は、単なる流行語を超えて、メディアや学校があまり伝えようとしない一つの事実を喝破している。つまり、戦後の焼け跡から再出発した日本も、75年の歳月が流れた今では、労働者階級の子は労働者に、中産階級の子はホワイトカラーに、富裕層の子は富裕者に、というヨーロッパの伝統的な硬直した階級社会になり、貧困の世代継承が稀でなくなった、と主張している。

 つまり、彼らはもう、社会の不公平、酷薄さ、偽善性をそれなりに良く知っている。

  職業に貴賎なし?モラルを語っているのではない。金がモノ言う資本主義のジャングルで、そういう耳障りが良いだけの御題目を唱えたところで、親ガチャに外れた子供の助けにはならないと言っている。

  「もともと特別なONLY ONE ♪」などという能天気なきれいごとを子供の頭に刷り込んで、幼い自我を徒に肥大させたあげく、そのままあの小汚く、卑しく、狡猾な魑魅魍魎の跋扈する肥溜めのような世間に放り出すのはいかがなものか?