教室も2回目。

前半は1時間ほど、大きな壁のボードで手筋の問題(シチョウ、ゲタ、etc..)をPさんと解き、Nさんの解説を聞く。

これは、手筋の本で見ていたのでできた。

 

私はまだ1手先か、2手先までしか見えない。自分でもよくわかる。

(井山先生のように1000くらいのパターンがバーッと見えたらいいのだけれども。

 せめて3、4手先くらいまで、、いきたい)

 

真っ暗な中にいるようでもあり、霧の中にいるようでもあり。

 

Nさん

「今日からみなさん13路でやってもらいます。

 お子さんなどは19路から入ったりしますから」

 

(え!?もう?9路COSUMIの0レベで勝ったことがなく、

 6路でもまだ勝ったことがないのに?)

 

「囲碁は闘いですから、相手の陣地へこのように入ってください」

 

と白地になりそうなところへポンと黒石を1つ置く。孤立無援に見える。

 

私「しかし入っても全く何とかなると思えないので、こわくて入れないのですが、どうしたらいいですか?」

 

Nさん

「そういう場合は、相手に入ってもらって考えるのもいいと思います」

 

「Pさんと13路、2子局でやってみてください」

 

えいままよ。ともかく馬鹿正直に壁をつくる。

 

「入れてください」

 

ときたら

 

「入れません」

 

と応じる。ともかく防戦一方で、17目負けの終局。

 

Nさん

「闘い気がなさすぎです。この途中箇所ではこう入っていくことができました」

 

"地がどういうものかを意識して、そこから広げていく感覚で"という息子師のアドバイスの前半は少しずつできた気がするが、後半はまだこれから。

 

ゲームなのだから、「こわい」というのは変だがこわいものはこわい。(何がこわいのだろう。考えなしに打ってボコボコにされるのは嫌だ、というのがあるが)知ることによって、こわさを克服するってセネカか誰か言ってなかったか。そうだ、ここは大丈夫、大丈夫でない、その知識がないのでこわいのだ。

 

晩御飯の支度時間になったので教室を後にした。

 

追記)セネカでなく、ソクラテスだった。

ソクラテスは「知恵が勇気である」と。

関連記事「プロタゴラス」

 

350B

知識のある人々は知識のない者よりこわがらず、またそれぞれの当人においても、ものを学べば、学ばない前の自分とくらべて、その事柄をこわがらなくなるのである。

プロタゴラス ソフィストたち プラトン著 藤沢令夫訳 岩波文庫 p.127

 

追記)

プロ棋士 柳澤理志の囲碁教室

(この実況を見てみる)