西方浄土と言いますが、物語に出てくる地を、西から順に書き出してみると

 

天竺(インド)←漢土(中国)←太宰府←難波←二上山、当麻←奈良

 

矢印は、郎女の指向を表しています。

郎女はちょうど真西に沈む、春分の日(秋分の日)の太陽に、俤(おもかげ)びとを一瞬見ます。その姿は、御仏のようでした。当麻の老婆は、それは天若日子、滋賀津彦の御霊だと言いますが、ここで

 

・阿弥陀如来…                       西の果ての天竺

・郎女の父の愛読した経典...  漢土

・父...                                       難波、太宰府

・滋賀津彦(天若日子)...     二上山(当麻)

・郎女...                                   奈良から当麻へ

 

のように、場所と人(書物)を関連づけて、改めて十三)の内容を振り返ってみます。

 

夜更け、滋賀津彦の御霊が、万蔵院の郎女の几帳まで寄ってきます。

この逢瀬が成就すれば、おそらく郎女は死ぬでしょう。

 

郎女が深い眠りに落ち、白玉を抱いて水底へ沈んだ夢を見たことにも、それが現れています。(この世ならぬ夜の訪問者(死者)が死をもたらすのは、「耳無し芳一」や「牡丹灯籠」などもそうです。)

 

その命の危険にあった郎女を、西の難波(太宰府)にいる父、その父が贈った経文(天竺から漢土を経てきた)の阿弥陀仏が、救う。

 

彼女を直接的に引き寄せたのは、西に位置する二上山の御霊ですが、二上の場では更に西の仏の智慧の力がはたらいていくのが趣深い。

 

悲しさとも、懐かしみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行った。

 

この表現には、郎女が御霊と阿弥陀仏とを区別せず捉えている様がうかがえて、彼女の経文理解の深さ、その心根の深さが、沁みてきます。ただただ、御霊を畏れ怖がるような人ではない。(多分そんな人はとり憑かれて殺されてしまう)

 

次の十四の場面は、再び奈良の都です。家持が目上の仲麻呂に気を遣いながら、語らっています。博識の郎女、あれは只者ではないよ。。という意見の二人。

 

十四)語らい(藤原仲麻呂と大伴家持)

 

大仏殿の広目天像に似ていると人々に噂された藤原仲麻呂(50歳過ぎ、郎女の父の弟)と、大伴家持(42、3歳)が語らっている。

 

漢土の書物の話から「女子(おみなご)は智慧づかせないのが男のためだ」と言う仲麻呂に、「女子が智慧を持ち始めたら、女部屋にはじっとしていないでしょうね、第一横佩墻内の…」と家持が返したことで、郎女の話題となる。

 

仲麻呂は「(郎女が)齋き姫もいや、人の妻と呼ばれるのもいやで、尼になる気を起こしたのではないかと、不安だよ」とこぼす。家持の家、仲麻呂の家はそれぞれ自家から斎宮(神に仕える高貴な女性)を出すことで政治力を保ってきた。それが他流の家から出るのは、大問題なのである。家持自身も同じ問題を抱えている。

 

酒が運ばれ、少し酔いの回った仲麻呂に、ふたたび家持が、「横佩墻内(よこはさかきつ)の郎女はどうなるでしょう。社か、寺か、それとも宮...。どちらへ向いても神さびた一生だ。そうであれば惜しい」と水を向けると「気にするな。気にするな。気にしたとて、どうできるものか。これは、....もう、人間の手へは、戻らぬかもしれんぞ」と、最後は独り言のようにつぶやく。