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全身の力が抜けている。そのまままどろみに落ちそうになるのを、意志の力で瞳を開けたままに保つ。
指先、腕と、少しずつ動かしてゆき、なんとか腕を支えに、上半身を起こすことに成功する。
「あんのバカ!」
頭を振って、全身に居座るしびれを振り払おうとする。深呼吸を繰り返すうちに、手先の自由がきくようになる。
コンソールににじり寄って、置いていた携帯端末を取り、壁で上半身を支えたままコールの操作をする。
「忍くん? ワタルがさらわれた。ついさっきよ。無事に救い出して。どんな手段を使っても! あの子は、世界の趨勢に関わるくらいの超VIPよ」
携帯を置き、数秒だけ目をつぶって休息した後、両手で思い切り自らの頬を叩いて、気合を入れる。白い頬が指の形に紅く染まる。乱れた黒髪を、頭を振って定位置に戻す。
「さあ、こっちはこっちで、やる事済ませますか」
きっぱり立ち上がって、猛烈なスピードで数列が増殖してゆくディスプレイに向き合う。
「トミー、リープのプログラム解析、進捗状況は?」
『87%!』
「もうちょっとね。完了し次第、水晶内に刻印よ」そう言って、リープの頭部を開け、複製した電子頭脳を取り出し、作業台を照射するビーム光の中に浮かべる。
『オッケー♪』
メタリックブルーの煌めきを放ちながら、電子頭脳は上下に開き、内部から楕円形の水晶がふわりと飛び出すと、中空で静止する。
「トミー、同時進行で、能力の10%だけ割いて、あたしにわかるレベルで、ワタルが開発したプログラムの概要、リープの起動マニュアルを作成して」
「ゆ、ゆっきー無茶ぶるなあ……。やってみるけどね~」
30秒ほどおいて、新たに立ち上がったディスプレイに、図象を交えた文字列が表示される。
「これは……」数列の中に散りばめられた○と+を組み合わせた幾何学的な図象を見ながら、由紀子は呟く。
「カタカムナ! そうか、だから特殊な磁気フィールドを発生させたり、コトダマをフォースとして受け取れたりするのね……」
一頁数秒の早さで、由紀子は表示される文字列を次々と読了してゆく。
「磁場そのものを、メモリや記録場所として使用できて、しかも物理的に頭脳が破損しても、その磁場は消え去る事がなく、再アクセスできる……。これ……全く違う方向から、量子コンピュータの何倍もの効率を実現できてる。これを、あの子一人で考えたっていうの?」
画面を見つめる視線がどんどん熱を帯びる。
「リープのシステムは、明らかにノーラのシステムがベースになってる。60年代に、超天才が産み出した超科学だと思ってたけど、違う。なんらかの形でもたらされた、未来の科学技術を参照したんだわ……」
『ゆっきー、新しい電子頭脳、完成よ!』
「お疲れトミー。グッジョブよ」
由紀子はビーム内に浮かんでいる電子頭脳を手に取り、ちょっと眺めた後、リープの頭部に装着する。キンと、微かに高周波音が響く。
「さあ、リープ、お目覚めの時間よ」
そう言ってから、宙に浮かんでいたリープを手で引き寄せ、優しく作業台の上に寝かせる。
「再起動のスイッチは……コトダマになるのね。『エ・コ・ヲ』……。『エコー』? 木霊? 人名かしら? 恋人かな?」
なんとなく、美しい白人の少女がイメージされる。
「さあ、行くわよ、リープ……。戻ってらっしゃい」
由紀子は祈るように、眠れるリープの頭を撫でる。
「スタンバイ!」
閉じていたリープの両眼が開き、微かに点灯する。
「エコー!」
両眼の光が強まり、静かに起動音が響く。呼吸するように胸部が膨らみ、前後の脚がピクッと反応する……が、すぐに動きは立ち消え、元の眠りの姿勢に収まりそのままフリーズしてしまう。
「あれ?? スタンバイ! エコー!!」
何度繰り返しても、反応はするものの、本格的な起動には至らない。
「なんでよ? トミー?!」
「なんでだろうねえ。これで良いはずなんだけどねえ」
「まったく……。どいつもこいつも!!」ダンと音を立てて、由紀子は両手で作業台を叩く。
「リープ……。この麗しき乙女が、どれだけ貴重な青春の時間をあんたに捧げたと思ってる? いいかげん解放しなさいっての!」リープの下顎をがっしりと掴んで、由紀子は据わった瞳で眠れる狼犬を睨みつける。
「あんたがそのつもりならあたしにも考えがある」
愛用のメタトロンを右手に取り、パシッパシッと左手に打ち付ける。
「起きろ~~っ!!」
メタトロンを顎の下部に押し当て、最強レベルにセットした電流を思いっきり放出する。