超犬リープ [SECOND]
re-mind…
それが跳躍する度に、旋風が起こった。
耳を突く擦過音とともに、刃物のような鋭さを持った空気の渦が、何もない空間を切り裂いてゆく。
人間にはほとんど視認できない疾さで、その異形の怪物は岩場を疾駆する。
それは、犬型のフォルムを持っていた。獣毛はなく、インディアン戦士の隈取りを想わせる、幾筋ものラインが刻まれた体表は、プラスティックのような滑らかな素材で覆われている。薄暮の暗がりにほの青く輝く、無機的な丸い双眼で一瞬敵を見据えると、再び攻撃を加えるべく、破壊的な威力が込められた跳躍を見せる。
それに対峙するのも、また異形の怪物だった。
巨岩に直立する人型で漆黒のボディが、残照を宿して夕闇に浮かび上がる。頭髪のない、黒く丸い頭部をゆっくり巡らせて、敵を捜索する。やにわに、右手で足元の岩石を掴むと、人間離れした怪力で投擲する。犬型は左方に跳躍し、なんなくそれを避ける。人型は静止し、センサーを総動員して相手の攻撃に備える。黒い鋼鉄の胸部に、深紅の「8」マークが鈍く輝いている。
左方で弾けた小石を意識したコンマ数秒後に、右上方から犬型のむき出した牙が襲いかかる。数センチのところで身体をかわし、敵のくさび形に伸びた下顎を殴りつける。鋼鉄をも嚙み砕くその牙にかかると、ハイマンガンスチールで覆われた彼の身体も無事ではいられない。
殴られたダメージはほとんど見せず、犬型は反転して地上で体勢を整え、再び右方へ跳躍する。疾く、強いだけではなく、ブラフを仕掛ける巧緻も備えている。「待ち」の戦法は不利であることを、ようやく彼は悟る。
加速状態に入ると同時に、ブーツの隠し穴からナイフを取り出す。超金属でできたそのナイフは、分厚い鉄板もバターのように切り裂くことができる。
すり鉢状の岩場をジグザグに移動しながら、犬型の動きのパターンを解析する。速度は彼の方が優っている。追い抜きざまに奴の四肢の一本でも傷つけることができれば、彼の勝利はほぼ確定する。
犬型の姿を捉え、しばらく後を追う。後ろに付かれたことが分かるのか、犬型は彼を振り切ろうと速度を上げる。
なんなく付き従い、岩壁を蹴って一気に抜き去り、ナイフを振り上げる。犬型の姿が消えている。一瞬泡を食って周囲を見回す彼の右手に、液状の何かが浴びせられる。シューっと音を立てて、ナイフが溶けてゆく。解析。奴の口腔から吐き出された強酸だった。見上げると、胴体部から翼を伸ばした犬型が、悠々と滑空している。奴が飛べることを、彼は知らなかった。
翼をしまい、地に降り立った犬型を、忌々しげに睨みつける。ナイフだけでなく、人差し指と中指も溶け落ちてしまった。残ったナイフの柄の部分を、奴に向かって投げつける。まるで彼を嘲るかのように、奴は避けもせずに右前肢で払って見せる。
双方静止し、数秒睨み合った後、格闘戦が始まる。
力でも勝る彼に掴まれれば不利な事を承知している犬型は、素早く跳び回りながら死角から牙による攻撃を加える。細かい傷はいくつも負わせたものの、決定的なダメージは与えられない。
焦りの見える犬型の前肢を、ついに彼は掴み、勢いをつけて岩場に何度も叩きつける。そのまま、前肢を引き千切ろうと持ち上げるが、犬型の強烈な後肢の攻撃に遭い、手を離してしまう。ハイプラスティックの被膜が無残に破け、腹部から火花が散っている。
数秒間、切り立った右手の崖を走り抜ける音が響いた直後、いくつもの巨石が崩落し、その間隙を縫って犬型が襲いかかる。かろうじて避けるが、避けた方向に飛散していた液体を、まともに右腕に浴びてしまう。犬型が先に吐き出していた強酸だった。
右腕の肘関節が溶け、そのままぼとりと音を立てて地に落ちる。形勢不利を悟った彼は、加速状態に入り、敗走を図る。
右腕がないことによる微妙な走行姿勢の崩れを「正確に予測」し、犬型は閃光のように跳躍する。
彼の喉元は噛み破られ、小型の雷光のような青白い火花がバチバチと頭部を包み込む。糸の切れた操り人形のように、彼の黒いボディは、ばさりと岩場に投げ出され、数回バウンドする。
彼の電子頭脳は確かに活動を止めた。犬型が油断したのも、仕方がない事だったのかもしれない。
とぼとぼと歩み寄る異形の犬型を、強烈な波動を発する光波が襲った。
活動を止めたはずの彼の左拳の突起から、まばゆい光輝が放出され、揺らめきながら犬型まで伸びている。体内に蔵した超小型原子炉からもたらされる、10万キロワットの電撃だった。
美しくも無慈悲な光輝に灼かれて、犬型は痙攣し、声にならない断末魔の悲鳴を上げている。
やがて攻撃を終えると、黒い胸部に傾いだ首を乗せたまま、彼はのっそりと立ち上がる。頭部の電子頭脳が破壊されても、肩に装着した予備の電子頭脳で活動できることを、犬型は知らなかった。
全身から火花を散らしている犬型にとどめをさすべく、その黒い怪物は、壊れたおもちゃみたいな不気味な足取りで、ゆっくりと歩み寄ってゆく……