般若心経の謎15 橘流写経 六 | 平井部

平井部

平井和正愛好部

神社仏閣巡りレポ
& ほめほめ雑記



 すいません、時間が空いちゃいました……。


 次に、橘流写経の実体験をあれこれ書いておきます。

 ぼくは、そんなに熱心な方ではないのですが、5年ほど前にふと数取りをするようになってから、二千二百枚ほど書いておりまして、それ以前にも数百枚は書いております。細々とはいえ、これだけ続けてしまうということは、やはり何か感じるところも多いんでしょうね。


 まずはとっかかり。
 小説『地球樹の女神』で般若心経に興味を持ったぼくは、とりあえず鉛筆で写経してみたんですけれど、それだけでも結構大変でした(^_^)。

 その後、浜本末造さんの三部作を手に入れてから、やっと小学校時代の習字セットをひっぱり出して、毛筆でトライしてみまして。最初はそもそものサイズを勘違いしていたり、あれこれ間違いも多かったですね。

 初期三部作では、先祖供養よりも、神社を浄めて回る方に重点が置かれてましたので、あちこち詣でて埋めたり焼いたり流したりしているうちに、すっかり神社巡りが好きになってしまいました。各地に大好きな神社はありますが、特別なのはやはり玉置神社で、バイクを手に入れてからは何度となくお参り致しました。

 名前の画数ごとに、縁の深い神社があるということで、姓、名、それを合わせた数、それぞれの縁の神社にお参り。
 時折現れるイヤンな出来事や人の幸せを願って、処置もしました。はっきり「奇蹟!」みたいな事はなかったものの、それぞれその場で対処することができました。



 写経の、まずはっきり分かり易い功徳としては、気持ちを引き締めて、精神集中することができます。
 例えば、やるべきことがあるのにダレ~っとしている状態の時に、三枚ほど書いてみると、気分が変わってすっと用件に取りかかることができます。


“生命の波動を強める” というのは、はっきりと実感はないのですが、ダークで鬱でもうどうしようもない時に、六枚くらい写経すると、完全ではないですが気持ちも落ち着いてきて、そのまま好きな神社に行ってお祈りをして埋めてみると、本当に心からさっぱりするのを感じますね(^_^)。

 ちなみに、ご利益信仰で有名な神社仏閣は、ぼくたちのべったりした欲望でご神気に蓋がされてしまってますので、あまり心を無にしてお祈りしない方がよろしいようです。ギラっとしたような場所ではとくに。


 先述のように、写経をしていると、呼吸も自然とゆっ~たりしたリズムになってきます。久しぶりに書いた時などは、一枚書き終えると、「悪いもん吐き出す」みたいな感じでお腹の底からゲップが湧き出てきたりして(^_^)、実際そのようなデトックス作用もあるようです。

 呼吸が落ち着くと、血の巡りも良くなるのか、ほんわり身体が暖まるのも感じます。さすがに真冬は無理ですが、肌寒いくらいの気温だと、うっすら汗をかいてしまいます。



 仕事が忙しかったり、悩み事があったりで、心がわさわさしている時にも、写経はかなり有効です。しっとり落ち着けます。
 ただ、これはぼくの知人もおっしゃってましたが、書く必要がある時ほど、なにかブロックされたようになって、書く気になれないんですよね(^_^)。もう気分落ちるとこまで落ちてからやっと重い腰が上がるという。
 毎日数枚でも書き続ける習慣をつけると、わさわさを溜め込むこともないのでしょうけれど。


 宗教的な面以外でも、写経には心を鎮める功徳が確かにありますようで、かの星新一さんも『きまぐれ博物誌』の中で、「学生時分にノイローゼになり、その方面の医者から毎日習字することを勧められて、疑念を感じながらやってみると確かに雑念を払う作用があって、ノイローゼの症状も軽減された」……という経験を述べられてましたですね。




 続きまっす