ばあちゃん | てんちょんのぉー!サボ★リバッ!

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ここ、俺の人生のサボリ場


半年前の記事に書いたんだが、
車を運転しててFMを流したら、今ではすっかり有名な「トイレの神様」って曲が流れてた。


ばあちゃんの曲ね。


超良い曲!と言うまでではないんだが、俺と超似てる境遇で驚いたの。


ってことで、


お盆で、死んじゃった ばあちゃんも帰ってきてることだし、
今日は 大好きだった ばあちゃんの話。


読むのに5分くらいかかるかもしれないんで、ヒマな時にでもどうぞ。





俺は長男で、小さい頃から 両親が共働きで、超が付くほど ばあちゃんっ子だった。


ばあちゃんと一緒に暮らしてたわけではなかったんだが
近所に住んでて頻繁にうちに来て 世話してくれてた。


幼稚園の送り迎えもしてくれてた。


一緒に住めば早いんだが、
うちの実家は狭くて一緒に住めなかった。


俺の親は、オモチャを滅多に買ってくれない教育だった。


でも、ばあちゃんに甘えれば すぐ買ってくれた。


だから、俺は ばあちゃんが大好きだった。


でも、すぐに買い与えるもんだから、ばあちゃんはいつも両親に怒られてた。


それでもばあちゃんは、俺が喜ぶ事を一番に考えてくれてた。


両親に内緒で、俺とばあちゃん 二人だけの秘密の
行きつけのオモチャ屋があったほどだ。


今思えば、少ない金で、俺に総額いくら使ったか分からないね。


また、幼い俺は 当時 大きな乗り物が好きで、特にバスが好きだった。


よくばあちゃんと、行く目的がないのに
バスに乗って終点まで行って、折り返しで帰ってくるという くだらない事もしてた。


大きくなったらバスの運転手になりたくて、
どうやったら バスの運転手になれるのかを聞いたりもした。


話せばキリがないくらい、ばあゃんとの思い出は沢山ある。





ところで、


ばあちゃんの旦那は、今 俺と一緒に暮らしているじいちゃん。(入院中だが)


この じいちゃんと ばあちゃんは 父方の両親ね。


今となれば 俺はこのじいちゃんと暮らしているが、
実は今まで、俺は じいちゃんをここまで身近に感じた事がない。


というのも、家庭内の事情なんだが、俺が物心がついた時からすでに
じいちゃんとばあちゃんは不仲で、ずっと別居してた。


俺が産まれたあたりから不仲になったらしい。


別にどっちかが浮気をしたとかじゃないんだがね。


色んな価値観が食い違っていたようだ。


高齢なんで、離婚はしていないものの、
俺は二人が一緒の所を見た事がなかった。


親戚の葬式でさえ、二人は距離を保ち、会話してる所も見たことがなかった。


だから幼い俺は、じいちゃんとばあちゃんっていうのは
別々に住むものだと思っていて、何も疑問に思わなかった。(母方の両親は仲良しだったが。)


ばあちゃんは うちの両親側に付き
じいちゃんは 元々一人が好きな性格もあって、隣町で一人暮らしをしていた。


だからなおさら、ばあちゃんにとっては 俺の成長が生き甲斐だったんだろう。


いつも俺の事を気にしていてくれた。





でも、気が付けば俺も大きくなってきて、
小学生高学年のあたりに、正直、ばあちゃんがウザくなってきた時期があった。


「今日は学校 楽しかったかい?」


毎日毎日、笑顔で ただこれだけを俺に質問してくる。


きっと、俺との話が合わなくなってきた ばあちゃんにとっては、
それが唯一の 俺とのコミュニケーションの手段だったんだろう。


それだけの質問なのに、俺は返事もせず シカトをし続ける毎日。


ある日、俺もいいかげんウザくなって、
ばあちゃんに対して「もう話しかけないでくれる?」って言ってしまった。


その時ばあちゃんは、ものすごい寂しそうな顔をして向こうに行った。


あの時のばあちゃんの顔は忘れないし、
これは今でも 俺自身が後悔してる発言で、今でも反省してる。


それを機に、ばあちゃんは親と話して うちには頻繁には来なくなり、
俺とばあちゃんの距離は開いた。


たまーにうちにやって来て、挨拶程度に会うくらいになった。





俺もさらに成長して、高校も卒業。


都心で一人暮らしを始めることが決まった。


でも大した距離じゃないんだが。


実家を出て行く前夜、
ばあちゃんに挨拶しに会いに行った。


そしたら、ばあちゃんは号泣した。


泣くほど離れた所に行くわけでもないんだが、
車の運転もできない ばあちゃんにとっては、距離が遠く感じられたんだろう。


俺が ばあちゃんの涙を見るのは これが初めてだった。





そして月日は数年流れ、


俺は就職もせず、バンドをやっててフラフラしてて、かなりの貧乏だった。


本当に金がなくて、将来も不安で、どうしようもないクズだった。


何もかもが上手くいかなくて、人生で一番最初の壁にぶつかっていた。


すると、タイミングを計ったかのように、ばあちゃんから電話がきた。


「おばあちゃんが電話すると迷惑かなぁ?って思ったんだけど、
元気にやってるかなぁ?と思って・・・」と。


迷惑なもんか、ばあちゃん・・・。


この時思った。


人って、追いこまれると
ウザイと思ってた人の言葉も ありがたく感じるんだなぁって。


俺は ばあちゃんに悩みを相談した。


するとばあちゃんは


「なーに、心配いらないよぉ!アンタは 本当に優しい子だ。
神様はアンタの味方だよ。それにいつだって おばあちゃんが付いてるよ!」


そんな 何の根拠もない ありふれたエールだったが、
あの時の俺には 本当に救われたひと言だった。


2日後、お願いもしていないのに、


ばあちゃんから、
現金書留でもなく、封筒に入った2万円が 郵便ポストに届いていた。


心から「ばあちゃんありがとう」って思った。


身近にいると 忘れがちだったが、離れてみて、ばあちゃんの温かさを実感した。





それから1ヶ月も経たないある日のこと、母親から電話がかかってきた。


ばあちゃんが 脳梗塞で倒れて 救急車で搬送された。


どうやら脳内で出血をしてて、話しかけても返事もできないほどらしい。


集中治療室に入っているらしいし、お見舞いは無意味なのは承知だったんだが
俺は急いで地元に戻って ばあちゃんのいる病院に駆けつけた。


病室の前まで行くと 親戚一同がいて、
親いわく、やはり 話しかけても返事がないらしい。


ついこないだ、電話で元気にしてたのに。


でも、俺はせっかく来たことだし、集中治療室に一人で入れさせてもらった。


入ると、ばあちゃんは「アーー・・・アーー・・・」と
半目を開けたまま 天井の一点を見続け、一人でうなり声をあげていた。


脳が機能してなくて、ただ奇声をあげていた。


正直、そんなばあちゃんを見てショックだった。


でも、一応話しかけてみようと思った。


「ばあちゃん!俺だよ!分かる?こないだはありがとうね!」


すると、


「・・・わざわざわるいねぇ・・・」と、
蚊の飛ぶような か細い声で、返事が確かに聞こえた。


孫の力ってすごいね。


親が言っても 全く返事がなかったらしいのに。


それが ばあちゃんの、会話としては最後の会話だった。


それから完全に脳死になって、植物状態になった。


生きてはいるが、人間としての機能が全く働かない状態。


寝返りも誰かがさせなければ、血が片方に溜まって身体が腐る。


安楽死の選択もあったが、
家族の意向では、やはりそれだけはできなかった。





しかし、介護保険でも費用はかかるし、病院のベッド数も限界がきて
ずっと入院させるわけにはいかなくなった。


自宅で介護をするしかなかった。


しかし、俺の両親の家、つまり俺の実家は 部屋が足りない。


そこで、介護を買って出たのが、不仲で別居をしていた じいちゃんだった。


俺はもちろん見たこともなかったが、何十年ぶりかの同居。


「不仲でも夫婦。」


無口なじいちゃんは、これだけを言って ばあちゃんの介護をし始めた。


俺たち家族には、じいちゃんから ばあちゃんへの 無言の愛に感じた。


じいちゃんだけじゃ知識もないから、ヘルパーにも頼んだ。


それから、じいちゃんが ばあちゃんの介護をして何年経過したと思う?


6年だよ。


逆に 安楽死を選んでたほうが良いのか分からなくなったほどだ。


その間、じいちゃんは ばあちゃんの介護をしながら、
二人きりの時間を静かに過ごしていた。


まるで、今までの二人の溝を埋めるかのようにね。





そして 俺も地元に戻り、今の店を始めた。


たまたまなのか、


俺が帰って来るのを待っていたかのように、
ほぼ同時に、ばあちゃんは 静かに息を引き取った。


葬式で、ばあちゃんに向けて 一人一人が手紙を書いて、
最後に 棺に納める儀式みたいなのがあった。


俺は、オモチャを買ってくれた事とか、バスの事とか、
色々な思い出をいっぱい綴って、紙が足りないくらい 感謝の言葉をビッシリ書いた。


俺の隣で じいちゃんも書いてた。


チラッと横目で見た。すると・・・


「不仲だったこと、ごめん。色々あったが 最後にもう一度一緒に暮らせて良かった。ありがとう。」


これだけ。


じいちゃんは昔から頑固で、「ごめん」とか「ありがとう」なんて言わない人だった。


最後の最後で、ばあちゃんへ言いたい事を素直に書いた。


短い文の中に、無口なじいちゃんの気持ちがビッシリ詰まってた。


何だかんだ、じいちゃんも ずっとばあちゃんを想ってたんだなぁって思った。


でも じいちゃんは、手紙という形では 言いたい事を伝えたと思うけど
きっと 直接言いたかったことなのかもしれないね。


その言葉を ばあちゃんが元気な時に言えてたなら、
きっと生活も色々違ってたかもしれない。





そして今。


じいちゃんも老いてるんで、一人で暮らすのはキツくなってきた。


実家より 俺の家の部屋が余ってるんで
俺とじいちゃんの共同生活が始まり、妹も住むようになった。


それはそれで、きっとばあちゃんも 天国で喜んでくれていると思う。


ばあちゃんも じいちゃんが心配だったろうし。


まぁ、もっとも今は じいちゃん 入院中だがね。


人はいつか死ぬ。


ひょっとしたら 明日、大事な人が死ぬかもしれない。


そんな時、言いたい事を伝えていなければ 後悔もする。


生きてるうちに感謝の言葉を伝えることって、照れるけど、すげー大事なことだと思う。


みなさんも 身近な人への ありがたみを 今一度考えてみてください。


きっと、言いたい言葉はあるはずです。


『あの人』に今言えることができるというのは、チャンスなんだから。


もし、あなたの じいちゃんと ばあちゃんが ご存命なら、
今のうちに大事にしてやってください。


老人って、金や物に変えることのできない、そういう言葉が何より嬉しいと思うんで。





ばあちゃん。


今、俺という人間が形成されているのは、
幼い頃に育ててくれた ばあちゃんのおかげです。


本当にありがとう。


俺、バスの運転手にはなれなかったけれど、今では大きく成長しました。


じいちゃんも、今は入院してるけど、ばあちゃんの分まで長生きしようとしてます。


家族みんな、今日も元気に生きてます!


お盆が終われば また天国に帰ると思うけど、いつまでも俺達を見守っていてください。



んじゃ!また!



PS.↓なんか似た境遇じゃない?