前々から感じていたことだけど、自分の悩みを誰かに打ち明けると、余計に不安になったり孤独を感じたりしていた。なんで孤独を感じるかというと、自分の痛みに寄り添ってもらえないから。

 

人って、悩みを聞かされると大体、アドバイスか説教をしたがる。もしくは、お前はまだマシだよ、私なんてもっとつらいんだからと、逆に相手に愚痴を聞くハメになる。ただでさえつらいのに、愚痴なんて聞かされるとぐったり疲れる。あの疲れ方は、日焼けしすぎて内臓が弱ってしまった感じに似てる。もしくは、下痢で内臓が疲れた感じ。

 

そんな事を繰り返してるうちに、だんだん人に弱みを見せなくなった。だって、余計辛くなるから。

なんとなく、今そんな事を考えてた。

 

心に寄り添ってもらえないと、誰かと一緒にいても孤独だ。

 

僕は人の心に寄り添える人間だ。だから、その重要性も、寄り添う感覚もわかるから、寄り添ってもらえないと胸の奥がモヤモヤとた感じになり、気分が悪くなる。

 

逆に、寄り添う感覚は、テクニックとして身につけるものではない。あれは、生まれつき持ってるものか、今まで生きてきた中で辛いことがあり、魂から絞り出すようにして身につけてきた感覚だ。簡単に手に入る感覚ではないから、人がもってなくても仕方がないのもよくわかる。

 

よくわかるけど、わがまま言っていいなら、他人の心に寄り添う重要性を少しでも考えてほしい。と、いつも思ってる。

 

不思議なんだよな。だって、自分が辛いとき誰かに相談して、余計に孤独になった経験は誰にでもある筈だ。

 

だとしたら、孤独を感じた原因って考えたり感じたりするだろうから、自然に人の痛みに寄り添う感覚って身についていくと思うんだけど。

 

皆は孤独を感じないのだろうか?恋人や家族や友達がいれば、それで十分なのだろうか?きっと、その答えがわかっても、どうせスッキリしないだろうな。

 

 

今日、いつもの公園を散歩していると、ふと強迫の症状が一番ひどかったときどうやって乗り切ったのか?ということを考えていた。


強迫になると、一日の大半をパニック状態で過ごすことになる。


僕の場合は、そのパニック状態とどう向き合っていたかというと、ひたすら文章に書き綴っていた。今では、ほとんど更新しなくなったこのブログなんかを利用して、結構な頻度で自分の症状や強迫に対しての考え方を書いていた。


ここに書けないような、もっともっと差し迫った気持ちや考えは、自分のノートに日記として書いていた。


書いたところで、すぐに治るわけじゃないし、書く作業をすれば当然、いやな事だって思い出すのだが、あの時は、書くことでどうにか正気を保っていられたんだと思う。


あれから何年かたって、こうやって当時を落ち着いて振り返ってみると、書くことで症状が少しづつ良くなっていった事に気づく。


といっても、魔法のようにすぐ良くなったわけではなく、じみーに地味ーにゆっくり良くなっていった。
でも、その『ゆっくり』は、とても力強かったんだと思う。


早く治したい!すぐにでも、こんなクソみたいな症状とおさらばしたい!いつもそんな風におもっていたけど、強迫は風邪が治るように、早くスッキリ治るものではない。


そのゆっくり治るってのがどんな感じなのかを、文章で表現するのはとても難しいのだが、間違いなく亀が歩くより遅い。ナマケモノが動くよりも遅い。


時間が進む速度よりもはるかに遅い。むしろ、肉眼では止まってしか見えない。
それくらい(どれくらいだ?)遅い。


そんな状況の中で正気を保つには、少しでも冷静でいる必要があり、その冷静さを保つ方法が、こうやって自分の症状や病気に対しての考えを、書くことだった。


書くことが病気の治療に良いなんて、何の根拠もない。だけど、人が誰に頼まれたわけでもないのに、日記をつけたり、ブログを書いたり、ツイッターでつぶやいたりするのは、やっぱり書くことになんらかの意味があるからだと思う。


書いたところで、別に実感できるほど症状は良くならない。だけど、書くことで非常にゆっくりと症状はよくなる。そう、時間が止まっているんじゃないのか?と疑ってしまう程ゆっくりと。


魔法のようにパーッと一瞬で治る方法があればいいんだけどね、そんな奇跡がおきるのをずっと願ってきたけど、そんな奇跡は一度もなかったな。


でも、ちゃんと治ります。強迫性障害は。





強迫性障害が治るとはどんな事だろうか?
強迫を克服した多くの人が、強迫が治ったと思える今ですら強迫観念が浮かぶことがある。と言っているが、僕の場合もそれは全く同じ感想だ。


症状がひどい時は、365日毎日強迫観念にとらわれて、このまま一生強迫観念にとらわれていきていくのか、と途方に暮れていた。


ここ最近では、強迫観念にとらわれる回数もかなり減ってきて、一日一度もとらわれず強迫観念を忘れて生活してる時もある。


でも、やっぱり体調が悪い時は、嫌な強迫観念が頭に浮かんだりするものだ。
ただ、前と比べるとやっぱり強迫が迫ってくる強さも、頭に浮かんでいる時間もかなり短くて、強迫のせいで日常生活が大変になる事もない。


僕は、この状況をほぼ治ったと言っていいと思っている。


強迫観念も、風邪が完治したときみたいに、スッキリ爽やかになればいいんだけど、たぶんそれはない。少なくとも、僕に関してはそういう治り方はしないだろう。


でも、それでいい。


きっと一年後は、いまよりも更に強迫が気にならなくなるだろうし、生活に支障がないならそれでいいと思う。


治ったような治ってないようなという曖昧な状態なら、最終的な『治った』の判断は自分で決めていいんだと思う。


強迫観念がスッキリとなくなったら、治ったというなんて言っていたら、いつまでたっても強迫観念に主導権を握らせているようなものだ。


『治った』という大切な部分を、あんなクソ野郎に任せるわけにはいかないのだ。だから、僕はもう治ったと言おう。

【これは、希望の歌】


(生きてる事に対しての罪悪感、神様殺してやる、夜は夜のふりして全部お前のせいだとがなり立てる)


など、この曲は歌詞が過激だ。
実際に経験して、実感した人間じゃないと出てこない言葉。


一見希望のない歌に聞こえるかもしれないし、実際そうとらえてる人が多いみたいで、素人自作PVなんかは、大体グロテスクで気味の悪い映像に仕上がってる。


けどな、それは違う


アマザラシの秋田さんは、ほんとに本当に言いたい事を、曲の最後の最後に持ってくることがある。
曲をちゃんと最後まで聞いて、実際に生きてる事に対しての罪悪感を感じた事がある人間なら、これが葛藤の末に光を見出した瞬間の曲だってわかるはずなのに。
いつか僕もこういう表現をするんだ




井藤漢方製薬設立40周年記念【大人のカロリーファイター】モニター様110名募集!


井藤漢方製薬株式会社



サプリメントって非常に魅力的に見えてしまうのは僕だけではないはず。最近ブログも書いてなくて、頭の働きも悪くなっていたし、体と頭のリハビリの為、サプリのモニターを始めてみようと思いました。


今、参加条件なんかを自分なりに調べてる最中なんだけど、こういう登録って苦手なので上手くできるか心配だ。


病気で苦しんでいる当事者の痛みは、本人にしかわからない。
だから、それを側で見ている友人や家族は、当事者の言葉をもっと信じてほしい。


はたから見たら、できて当たり前の事ができずにうずくまってる身内がいたら、
何か言いたくなるのかもしれない。


アドバイスとか説教とか。。。


でも、当事者は思いつく限りの努力は常にやっている。
行きたくもない病院に通い、対して効果のない飲みたくもない薬を飲んで、必要とあればカウンセリングを受け、自分の病気を知るために書籍を読み漁り、ネットで治療法を検索して、しまいには人生の反省会までやって、それでも何年も治らずもがいている。


それなのに


『結果がでないのは、努力するポイントがずれてるから』


とか


『考えてるだけじゃだめだ、行動が大事だ』


とか、どこかの安っぽい自己啓発本に書いてあるような、クソほどの価値もない言葉をぶつけられると、瀕死にとどめを刺された気分になる。


大げさな話ではなく、止めを刺されてる。


周りの人間は言いたい事もあるのだろう、だけど、まずは必死に戦っている当事者の言葉をもっと信じてほしい。周りの人間が、思いつきや、なんとなくで言うようなアドバイスや説教なんて、とっくに本人は実践してるのだから。


余計な世話を焼かず、相手の言葉をまずは信じてみるってのは、ものすごく忍耐が必要だってのは僕でもわかる。けど、それでもあえて言わせてもらう。


もっと、僕の事を信じてほしい。







【アウトランダー】

第2次世界大戦後、従軍看護婦のクレア(カトリーナ・バルフ)は戦地から戻った夫との関係を再び深めるため、スコットランドで休暇を過ごすことに。ところがストーンサークルを訪れたとき、一人だけ200年前にタイムスリップしてしまう!
時代は、スコットランドとイングランドの緊張が高まる1743年。双方に密偵の疑いをかけられたクレアは、未来に戻る方法を模索する一方、困難な時代を生き抜くためにスコットランド戦士ジェイミー(サム・ヒューアン)と結婚することに。


って内容です。


外国にはあまり興味がない僕ですが、学生のころからスコットランドとアイルランドには何故か興味があり、この作品もなんとなくそこにひかれて観はじめた。


結局おもしろくて、シーズン2の最後まであっという間に観てしまった。タイムスリップってなんだか安っぽい設定だな。なんて、冷ややかな視点で見ていたけど、設定が安っぽくても作品の中身がしっかりしてれば面白いです。


一昔前に比べると、レンタルビデオの値段で大分安くなった。


ゲオ:旧作80円
ツタヤ:旧作100円


一昔前だと、旧作でも380円位した気がする。それに比べたら、かなり安くなった。でも、月にある一定量を見る人は、定額制の配信サービスの方が良いかもしれない。


僕は、プレステ4の本体で見るので、プレステ4が提携?してて、良さそうなのが


Netofuilx:月額680円(一番安いの)
Hulu     :月額980円


って感じだった。
定額にしても、じゃあ、1っぽんも見ないなら損するなあ。
と、渋ってるのだが、今日だけで旧作7本(700円)も借りてきてるから、これなら定額の方がどう考えたって安い。


でも、来月は?再来月は?
と、いらん心配が始まって、結局どうするか決めかねてるのだが、どうしよう。


僕は、コアな映画ファンじゃないので、見ない時は全然見ない。
だめだ、優柔不断で全然決められない。いや、やっぱ定額制にしよう。いや、やっぱりやめよう。


決められん!
自分の部屋の蛍光灯が切れてしまったので、新しいのをホームセンターで買ってきた(1.680円)店頭で、値段みて、結構高いなあ。と、若干渋ってみたものの、部屋の蛍光とうの寿命がきれてしまったので、電気をつけても、かな~り薄暗い。


そんな暗い部屋が当たり前だったのだが、蛍光とうを交換してびっくり!部屋がこれでもかっていうくらい明るくなった。


部屋が明るくなって気づいたのだが、部屋が明るいと、少し気持ちも明るくなる。逆をいうと、今まで暗い部屋だったってことは、少し気持ちも暗くなっていたのかもしれない。


どこかで、部屋は心を映す鏡、てきなことが書いてあった気がするけど、自分の気持ちが明るくなった実感があるので、あながち本当なのかもしれない。と思った。


部屋掃除すると、気持ちもスッキリするでしょ?(掃除ほとんどしないけど)
きっと、自室は心の鏡なんだよ。たぶん