近所の味噌ラーメン屋は僕のお気に入りだった。
芳醇でコクが深く濃厚、食べ終わった後は何とも言えない満足感がちょっとした幸せ。
 
お腹がパンパンになるまで食べても、少し時間がたてばまた食べたいと思えた。
だから、何度もリピートで通っていたのだが、残念な事に最近味が落ちた。
 
初めは、僕の舌の調子が悪いのか?と思っていたのだが、初めにそう感じてから
3回目の来店で確信。
 
店の味が落ちたのだ。
 
芳醇さは、安っぽい砂糖みたいな甘さになり、コクの深さが無くなり
底の浅い味付けになってしまった。
 
何が原因かは、客の僕には知る由もない。
作り手のが変わったのか、いい素材が手に入らなくなったのか。。。
 
とにかく残念だ。
 
繁盛しているラーメン屋(飲食店)は、こういった事態を防ぐために、定期的に
味のチェックを外部の人間にやらせるべきだ。
 
同じ店のスタッフだと、調理師に対する無駄な気遣いで本音を言わない可能性が
高いし(日本人は特に?) 毎日同じ賄いを食べてれば、その店の良しあしが麻痺
してる可能性もある。つまり、客観的に味を判断するなら、第三者にやってもらうの
が正解だと思う。もちろん、自分ら客観的に判断できるなら、それに越したことはないけど
味の質が落ちてるなら、冷静な判断はできてない証拠だ。
 
一度味の質が落ちた店は、まず挽回することはない。
挽回した店なんて、一度も見たいことない。大体、そのまま斜陽になり、潰れる。
 
お気に入りのラーメン屋。
僕のささやかな安らぎの場所。
 
残念としか言いようがないが、お別れの時が来てしまった。
さようなら
強迫が酷かった時の事を思い出していた。
あの時、ぼくはどんな言葉を言ってほしかった?
 
それはきっと、
『強迫性障害は治るから大丈夫』
 
って言葉だったと思う。
そしてそれは、僕だけじゃなくて、このクソッタレな症状に苦しむ
全員が欲しい言葉だと思った。
 
強迫を治したくて、書籍やCODのブログを読み漁ったりしていたけど、
情報が多すぎて、逆に不安になることはしょっちゅうあった。
 
情報の消化不良になるほど、情報を集めたのは、きっと、
強迫は治る事を確かめたかったんだと思う。
 
けど、途中で気づいた。
結局は、暗闇の中を手探りで前に進み続けて、自分で治らないと
いつになっても安心できないって事。
 
治るっていう保証がなくても、結局は自分を信じないといけない。
たぶん、信じ続けないと治らない病なんじゃないのか?ってすら思う。
 
おいおい、漠然とした話してるな。
って思う人もいるかもしれない。
 
実際漠然とした不確かな話だ。
それでも、やっぱり自分を信じ続ける事がかなり重要なのだ。
 
治る。治してやるって。
だって、強迫は耳元でいつも言うでしょ?
 
『確認しないと大変な事がおこるぞ?』
『治るかどうかわからないから、その場から動くな』
 
とかなんとか、ほんとにうるせえ。
だから、そんなクソッタレな言葉に惑われないよう、自分を信じないといけない。
 
強迫が中心じゃなくて、自分が中心じゃないといけないのだ。
強迫に心を明け渡してはいけないのだ。
 
強迫の症状が本当に酷かった時と、良くなってきた今を比べると
強迫がひどかった時の方が、圧倒的に感受性は強かった。


自分の好きな音楽を聞くと、まるでその音楽の世界の中に入り込んだんじゃ
ないのか?と思えるほど、音楽を魂で感じる事ができた。


3年位前は、強迫の症状が酷く、365日強迫と戦っていて、夢の中ですら強迫
に追い掛け回され、自分の悲鳴で目が覚める事なんてしょっちゅうあった。


でも、そんな最悪の状況だと何故か感受性が驚くほど鋭くなっていて、物事
の本質まで簡単に見えてしまう感じだった。


だから、音楽を聞いても、曲の主張したいことが理屈じゃなくて、感覚的に
体感できていた。だから、感動も今とは比べ物にならないほどあった。


その点に関しては強迫が酷かった時の方が良いと言える。だけど、そこまで感性が
鋭いと日常生活がまともに送れないから困る。


僕は、対人恐怖的な症状があったけど(今もある)あの時は、公園に植えてある木
が人の姿に見える瞬間もあって、恐怖でその場から身動きが取れなくなったほどだ。


強迫が良くなるって事は、ある意味感性が鈍感になるって事でもあると思う。
鈍感だから日常生活が送りやすくなるし、鈍感だから人とも関われるし、鈍感
だから仕事もできる。


むき出しの感性では、自分にとって本当に心地よい事以外何もできなくなる。


とはいうもの、あの時と回復してきてる今ど、どちらが良いか?と尋ねられたら
やっぱり今の方が良い。


あの時の鋭い感性を残したまま、日常生活をそつなくこなす方法はないかと、最近
よく考えるけど、今のところ良い案は浮かばない。


最後に、強迫が酷いときよく聞いていた大好きな曲を紹介します。
この曲にどれだけ助けられた事か。









この動画を見てると、微笑ましい気持ちになると同時に、胸をえぐられる様な苦しさも感じる。何故なら、このバンドのメンバーから仲間の絆を感じるから。


実際本当に絆があるかなんて、この輪に飛び込んでみないと分からないけど、少なくてもこの動画なの中では、メンバーの意思が通じ合ってるように見える。


僕は、人間関係の絆にコンプレックスがある。
自分の家族との絆は大丈夫なのだが、家族以外の人間関係に対しては神経質になりやく、絆に対しての強い拘りがある。


キン肉マンとテリーマン

悟空とクリリン

ナルトとサスケ


現実の世界であんな絆は存在しない。
ピンチの時、お互い助け合う。


そんな絆に子供のころから憧れてきた。というか、今でも憧れてる。
その部分は、とても純粋なのだ。


話が少しそれたが、現実の世界では動画のメンバー同士程度の絆はある。
ところが、その程度の絆も結べない自分がいる。


それが、悔しくて情けなく感じるのだ。
いや、今度は大丈夫。


体調崩してから、嫌でも人の本質を見るようになったからな。
今度は、本質がまともな相手と付き合えばいいだけか。


たぶん。そんな気がする。
いや、それで大丈夫な・・・筈・・・


(ドラムの女の子の笑顔がステキだ^^しかも上手い)

最近彼女が欲しいsaisenです。

しかし!今の行動範囲の狭さと、気力体力のなさから判断すると

 

(彼女なんてできないよな・・・)

 

と、しょんぼりしてしまう。

うまくいかない時期は、ほんと何をやってもダメ。

 

今は、気休めにおみくじ引くのが精いっぱい!

 

 

 

 

 

 

 

▼わたしの2017年の恋愛運は・・・

 

 

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

たばこ吸ったことある?

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あなたもスタンプをGETしよう

 
 
たばこを止めて11年が経とうとしてる。
僕がたばこを吸い始めたのは、15.16歳位だった。
 
悪ぶっていい気になってる奴らは、中学2.3年くらいから吸っていて、それを傍目に見てカッコいいとは全く思えなかったので、たばこなんて一生吸わない。と思っていたのだが、結局自分も高校生になってすぐ吸い始めた。
 
吸い始めた理由は、毎日がつまらなかったから
 
たばこを吸えば、輝かしく刺激的な生活になる気がして、戸惑いながらもたばこに火を付けたのを今でもなんとなく覚えている。たばこを吸ったとこで、体がだるくなるだけで、充実した生活がおくれるわけではないけど、あの時は、そんな淡い期待をいただいてた。いや、淡い期待だころか、切望していたような・・・
 
でも、高校を卒業するころには、吸うだけ無駄だってことに気づき始めてきて、20歳位では禁煙に挑戦してたっけ。もちろん、すぐ挫折したけど。
 
吸ったところで良いことはない、でも止めるとなると結構努力しないと止められない。そんな割に合わない嗜好品。
 
たばこってそんな物だ。
 
 

 

 

 

ずっとレミオロメンの新曲だと思ってた。
バックナンバーが新曲を出すたびに、有線やネットで耳にしては、

『ああ、レミオロメンは相変わらずいい曲だすなあ』

って勘違いしてた。
最近知ったけど、バックナンバーっていうバンドみたいです。

こういう勢いがあるバンドには是非是非活躍してほしい。
ここ何年か(15年くらい?)は、日本の音楽シーンに盛り上がりを
感じないから。2000年前後は、新しく良い音楽が出てきて、面白かった。・・・気がする

バックナンバーが最近、ベストアルバムを出したみたいなので、思い切ってレンタルじゃなく、購入してみようかと検討中。

【僕の心が死んでしまったときに聞く曲】

 

母親、神様、社会的モラルなど、自分にとって絶対的な正義が、実はクソかゴミの類だって気づいてしまい、正義に対しての怒り、不信感、悲しみなどをいだいても、すべてを手放すことができず葛藤してる。そんな曲と勝手に解釈してます。

 

 

PV中にでてくる黄色いスイセンの花言葉は、

「もう一度愛してほしい」「私のもとへ帰って」

 

 

けして明るいテーマではないけど、僕は、自分の心が死んでしまってると感じたとき、この曲をよく聞く。すると、死んでしまった心に血が通って、人間らしい感覚が少し蘇るのを感じる。

きっと自分の中にも、この曲のテーマに共鳴するところがあるから、心が黙っていられなくなるんだろう。

 

 

人間らしく生きてくためには、心の主張をしなければならないし、心が主張したがってるなら、生きようとしてる証拠なのだ。