てんち+プラス

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見える感じる“普通”をくつがえそう。でんぐり返しで新しい視点を。新しい社会を。

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取材を快く受けてくださった、おでかけ療育®️協会の加藤啓吾さん。

私がおでかけ療育®︎協会を知り、活動内容を見て衝撃でした。

「これだ!わたしが求めているものはこれだぞ!」と電撃が走ったのを覚えています。

電撃まで走ったおでかけ療育協会の活動。

加藤啓吾さんはどのような想いで立ち上げたのでしょうか。

熱い想いを加藤さんに語っていただきました!

重度の強迫性神経障害で、命がなかったかもしれない。でも、その1人の人間として関わり信じて見守ってくれた人達に救われた。

 

 

 

「おでかけ療育協会を立ち上げようと思ったきっかけが、そこが1番重要で…。自分の人生経験が活かされてるんだけど…。」と話し始めてくださった加藤さん。

お話を聞くと、壮絶な人生だったようです。

加藤さんは重度の強迫性神経障害なのだとカミングアウトされています。

強迫性神経障害により、「お墓に本当だったら入っていただろう状況だった。」のだと。

その、“お墓に入っていたであろう状況”になり、大きな病院に入院したそうです。

入院中、「人の人権は無視されてきた。」と話してくださいました。

「入院中人権がなく辛かった、悲しかった。そのことから、社会に反発心が芽生えた。退院したら、のぼり(旗)持って抗議しながら歩こうと思ってた。」

反発心が芽生えてから、体調が少しずつ回復してきたのだそうです。

回復してから大分県の精神科に転院したことで、人の暖かさを知ることができたようでした。

「今までの人権のない入院生活ではなく、医師も看護師も患者(加藤さん)を信じて自立を促して見守ってくれることがとても嬉しかった。」

 

 

 

看護師同伴の外出許可が降りた時に、某100円ショップに買い物にでかけたそうです。

その時、「100円ショップに入った瞬間デパートのようにとても幸せな場所に感じて、今でもよく覚えてる」とおっしゃっていました。

それ程、体もメンタルも悲鳴を上げていた状態だったのでしょうね…。

その、幸せな場所と感じてから大分県の精神科を退院。

ですが、退院目標だったのぼり(旗)を持って抗議をしながら歩くことは、出来ずに終わったそうです。

親の介護がきっかけでヘルパー取得。その後、自立支援の道へ進み、自閉症の子供達と出会う

 

 

 

退院後お母様の介護がきっかけで介護職で働きたいと、ヘルパーを取得した加藤さん。

働いていた老人ホームでは、自分の障害については一切伝えなかったそうです。

体や精神面が辛い時はトイレなど人目がつかない場所で、薬を飲みながら働いていました。

そんな状況を暫く続けていた時に、重度障害脳性麻痺当事者家族のサークルで、当事者家族に出会い「自立支援ができるから来てくれませんか?」と誘われたそうです。

二つ返事で「行きます!すぐ行きます!」と答えて、障害支援の道に進みます。

その頃加藤さんは、35歳でした。

 

 

 

自立支援へ行った時に、人生で初めて自閉症の子供達にあったそうです。

「なんて、可愛いんだろう!」そう思ったと、加藤さん。

自閉症と自身の強迫性障害は紙一重なところがあると感じていて、自閉症でのこだわり行動や、大パニックなどを見ても、「何でこんな事をするの?」とは思わず、すんなり受け入れられたそう。

ただ、こだわりや、パニックで苦しいのは自分もそうだから理解できたけど、対処方法がわからなかった。

「対処はわからないけれど、療育や学校で頑張ってるんだから、おでかけしよう!おでかけしている時に白い目やバカにされたら自分が援護する!味方になる!」

と、自閉症の子供達とおでかけをするようになったのだとか。
この出来事が、おでかけ療育協会の最初のきっかけなのだと思います。

障害についてたくさん学んで主任へ。その後、強迫性神経障害による鬱が再発、障害カミングアウトで再度の反発心が。

 

 

 

「対処はわからないけれど、療育や学校で頑張ってるんだから、おでかけしよう!おでかけしている時に白い目やバカにされたら自分が援護する!味方になる!」

と、子供達とおでかけをするようになった加藤さん。

何もわからないままではいけない、癇癪や大パニックの対処方法や理解を深めなくてはと、自閉症や知的障害について猛勉強したそうです。

あらゆる講習会、勉強会に参加し、専門家が出版した本などをたくさん読んで学びました。

学んだ結果、自立支援先で主任にまでなった加藤さん。

でも、学べば学ぶほど、“子供達には全く当てはまらない事だらけ”だったと話して下さいました。

学んだ専門の自閉症や知的障害についてのことはあまり役には立たなかったようです。

アドバイスではなくクソバイスに感じたのだそう。

アドバイスが実践できなかったらそれは、アドバイスではなくなりますよね…。

その頃から、講習会、勉強会には参加せず、専門家の本も読まなくなりました。

その代わり、障害者の当事者家族の本、ブログを読み漁るように。

 

 

 

「専門家よりも、断然役に立つ情報がたくさんだった。今も読むのは当事者か当事者家族の本やブログ」とおっしゃっていました。

なるほどなと思う情報がブログや本に詰まっているそうです。

たくさん学んで、本やブログから情報も得られて主任になった加藤さんは、その頃からストレスが溜まり鬱症状が再発したと言います。

初めの頃は、老人ホームで働いていた時のように、薬を飲み症状を誤魔化しながら仕事をしていたようです。

その状況のまましばらく過ごすなか、子供たちとのお出かけは、“子供達の為のおでかけ”ではなくなりました。

加藤さん本人の心のバランスを取る為に、“自分の為におでかけ”するようになったそう。

「事業所の中での活動は苦痛だった。外に出てぇ…としか思えなくなってた。バスに乗ってたり何かしていても、勝手に涙が出てきたりして。あぁこれはいかんなって。」

それは、加藤さんにとっても、子供達にとっても辛かった状況だったと思います。

この状況のままでは働けない…と思い、上司に強迫性神経障害をカミングアウトすることにしました。

 

 

 

「病気の事を話した後、上司にこの役立たず!って言われた。その言葉で反発心、怒りが芽生えた。貴様!今、俺に対してなんじゃと?!なんて言った?!己、今に見てろよ!!」

と泣きながら口では言えなかったけれど、心で強く思ったと加藤さんはおっしゃいました。

「辞表すぐ出して、すぐ辞めます。もう結構です。って言って辞めた。」

そう笑いながら話して下さいました。

私は思わず「そんな事言われたんですか?ひどいな…」と言ってしまいました。

それを聞いた加藤さんは「そうなんだよ。言われたんだよ。」と笑いながら言います。

その時は怒りが相当強かったそうですが、今は笑えるようになったんですね。

またもや反発心により立ち上がった加藤さん。いよいよおでかけ療育協会立ち上げる

 

 

 

強迫性神経障害による鬱再発のカミングアウト後、「この役立たず!」の一言で、心が折れずに立ち上がった加藤さん。

いよいよ、おでかけ療育協会を立ち上げるために動き始めます。

自分で指定訪問介助事業所の法律を調べ上げたそうです。

広島県初の移動支援事業所と掲げて立ち上げたあと、子供達の支援をする中で、放課後等デイサービスに閉じこもった環境の子供達と、おでかけや社会性を体で覚えている子の目の輝きの違いがわかるようになってきました。

その頃、福祉事業の改定などで、指定訪問介助事業所を続けることができなくなり、たたまなければならない状況に。

事業所を畳んだ後、今ブログで更新されている放課後等デイサービスを立ち上げました。

「どんなデイにしようか考えた時に、人数とかの問題で大変だけど移動支援事業とは違くて難しいけど、おでかけをメインのデイにしようと思った。」

おでかけメインの放課後等デイサービスを立ち上げ、支援の様子や子供達の様子をブログに載せるように。

加藤さんをご存知の方は、毎日更新されるブログを一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

そのブログは、子供達のカルテとしてブログに書いているそうです。

見返した時、こんなことができるようになったんだ!この時こんなだったな…など、面白い発見や今後に役立つ事に繋がるのだとか。

加藤さんと子供達の歴史が、とてもつまったブログですね。

毎日更新しているうちにフォロワーも増えていき、相談や意見も多くなっていきました。

その頃、自分がいなくなっても役に立つことは無いか…と考えたそうです。

考えて考えて…辿り着いたのは、おでかけ療育®︎協会の立ち上げです。

 

 

画像はHP提供。毎月TOP画像がメンバーズで募集した写真に変わります。

 

協会ならば、自分がもし働けなくなっても亡くなった後でも残り、役にたつことになるのでは?と考えたそう。

おでかけ療育®︎といえば、商標登録がされた事を公表しています。

商標登録にこだわったのは、やはり自分がいなくなった後も残るようにしたいと考えてのことのようです。

おでかけ療育®︎協会立ち上げまで、とても時間がかかりました。

加藤さんの、“今までの人生が詰まった協会”なのだと思います。

だからこそ、加藤さんには障害児育児に悩みを抱えた親が集まります。

障害に関わらなくても支持したいと関わりを持つ人もいます。

おでかけをあきらめている人たちに、ブログで加藤さんと子供達の歴史を伝え、当たり前におでかけして地域で生きていけるように、おでかけ応援マークを作って理解を広める活動をなさっています。

 

 

おでかけ応援マーク

 

おでかけ療育協会は障害者だけではなく、支援者側にも耳を傾けてくださる協会です。

おでかけ応援マークは、支援者にもつけて貰おうと作ったマークなのだとか。

おでかけは靴を履いてすることから、靴のマークなのだそう。

靴のマークは加藤さんの甥っ子さんが、デザインしたものです。

加藤さんがデザインをみて「これだ!」とピンときて、この靴のマークでおでかけ応援マークができました。

靴のマークが可愛くて、印象的なおでかけ応援マーク。

おでかけ療育協会が障害があっても当たり前に地域で生きていけるようになるきっかけになるよう、たくさんの人たちに広まってほしいと、私は願います。

 

 

…あとがき…

 

取材に快く引き受けてくださり、お話をしてくださった加藤さん。

ありがとうございました。

取材の時に自閉症の子達に「なんて可愛いんだろうって思った。」と話してくださった加藤さんに、私は衝撃を受けました。

というのも、てんち+プラス おひさまにも自閉症の息子がいます。

今はとても可愛いと思えますが、苦しい時はとてもじゃ無いけれど可愛いなんて我が子でも思えなかった。

だから、初めて会う自閉症の子達に、可愛いと思える加藤さんがすごい!と思ったし、可愛いと思ってもらえる子達が羨ましいとも思いました。

そんな加藤さんだからこそおでかけ療育®︎協会はあったかい場所なのだろうなと感じます。

私も、おでかけ療育®︎協会のメンバーズです。

立ち上げすぐには入会を渋っていました

なぜかというと、広島県と私の住む場は、だいぶ離れている地域だからです。

でも、入会したくて加藤さんと連絡を取りたくて、メールを入れました。

「入会したいけれど広島ではない…。」そんな内容だったと思います。

だけど、加藤さんは

「全国に広めたいと思っている。どこの地域でも大歓迎!」

と、私の元へメールの返信を下さいました。

受け入れてくださったことがとても印象的で、メールの返信をいただいてすぐ入会をした思い出があります。

受け入れてくれる。そんなことで?と思うかもしれません。

でも、障害がある人、障害者家族は受け入れて欲しくて、涙ながらに必死に生きています。

必死に生きているからこそ、温かい場所があるのが嬉しい。

ずっとあってほしい。

当たり前になるように広がって欲しい。

そう願っています。

ここまで、長い長い文章なのに最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

心から感謝致します。

おでかけ療育®︎協会、おでかけ応援マークが、当たり前のように広まることを願っています。

文:てんち+プラス おひさま
取材先:おでかけ療育®︎協会加藤啓吾さん

 

ブログ

自閉っ子とおでかけを楽しくさせる17年の実践で作った法則 一般社団法人 おでかけ療育®︎協会 加藤啓吾

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今回取材を受けてくださったのは、サポートマーク普及協会の池田進さんです。
サポートマーク普及協会は"私はいつでも、助けになります。
いつでも声をかけてくださいね"の意味があるサポートマークを広める活動
をなさっている協会です。
池田進さんがなぜ、サポートマークをつくり、サポートマークを広めようと活動を始めたのか、話していただいたことをまとめていきます。

 

  サポートマークを作ろうとしたきっかけは、ヘルプマークを付けていても助けて欲しい時に誰にも助けてもらえず、誰に声をかけて良いかもわからなかったから

 

池田進さんは、精神疾患を患っているためヘルプマークを身につけていました。
ですが、ヘルプマークを付けていても自分が、苦しくて助けてほしいときに声をかけてもらえず、そして誰に声をかけて良いのかもわからず苦しい思いを身をもって体験しています。
ヘルプマークを身につけるようになる前は、電車の優先席に率先して座り、妊婦さんや障害のある人、老人などの人に声をかけて座るのを代わっていたという、池田進さん。
自分は、率先して声をかけていたけれど、みんながみんな必ずしも同じではない。
なんて声をかけたら良いかわからないしどう対応すれば良いかもわからない。
そしてヘルプマークを身につけている人に声をかけても助けはいらないと断られるケースもある。
どうしたら、「助けて!」や「助けますよ!」の声がかけやすくなるかを考えた時、ヘルプマークの逆である、サポートする側のマークがあれば、良いんだ!と、水色とピンクの印象に残るサポートマークを作りました。

  サポートマークを作る仲間を集めるべく、就労支援に通う人達に声をかけてみたけれど断られた

 

池田進さんは、就労支援を卒業した後の居場所として初めは日本サポートマーク普及協会を立ち上げようとしていたそうです。
日本サポートマーク普及協会を立ち上げる前に池田進さんが通う就労支援の人達に、「一緒にやりませんか?」と声をかけました。
ですが、就労支援に通う人達は、就労支援を卒業をした後のことを考えるまでの余裕がない人たちだったため、みんな首を縦ではなく横に振るばかり。
”今”を生きることに必死だったのでしょう。
それでも池田進さんは、日本サポートマーク普及協会を立ちあげることにしました。
池田進さん自身も重度の精神疾患を患っているので、仕事自体セーブするように言われていましたが行動してしまう池田進さんのサポートマークへの想いがひしひしと伝わってきます。

  企業向けにサポートマークを発信をして、より多くの人に知って欲しい

 

日本サポートマーク普及協会は、福祉としてはやっていません。
福祉とは真逆の立場だと思っているからと池田進さんはおっしゃいました。
だから、サポートマークは企業に取り入れてもらうために活動しています。
企業向けに発信しているのは、障害の無い健常者や、福祉とは関わりがない人へ知ってもらうためなのだとか。
障害のある人たちは、ヘルプマークや、サポートマークを知っていても、健常者の人が障害やサポートマークの存在を知らなければ全く意味がなくなってしまう。
そう考えた池田進さんは、大手の企業にサポートマークを発信をしてサポートマークを知らない人に伝えてもらう声かけをしています。
それでも断られることもあるようですが、発信しなければ広まらないからと芸能人や世界的有名人、世界的企業へもメールなどをしてサポートマークを広められるように活動をしています。

  心疾患や障害の人の苦しさをわかってるからこそのアドバイス

 

池田進さんは、Twitter上で相談をたくさんもらうんだとか。
そして、必ず返事をしているそうです。
自分が個人的に助けられないけれど、福祉の手続きやどこに、連絡すれば良いのかなど調べてアドバイスをしています。
と池田進さんはおっしゃいました。
アドバイスしかできないけど、放っておくことはできないそうです。
それに、比例して批判の連絡もたくさんもらうようですが、批判にも無視はせず全て返事を送っているとのことでした。
いろんな考え方の人がいるから当たり前のことと、池田進さんは笑います。池田さんも、精神疾患があるようには見えないくらい明るく流暢にお話ししてくださいました。

  ヘルプマークの逆、サポートマークが広まるために私達ができること

 

私との取材直前まで寝込んでいたと当時おっしゃっていましたが、私の為に起き上がってくださりました。
相当体がしんどかったと思います。
それでも、質問に丁寧に答えてくださりそして笑って話してくださる池田進さんにお礼申し上げます。
赤い色のヘルプマークが、知れ渡っていますよね。
健常者にもだいぶ浸透してきています。
サポートマークも同じくらいもしくはそれ以上、たくさんの人達に知れ渡ってほしいです。
その為にはどんな障害があるのか、どんな助けをどんなふうにどうしたらいいのかを知ることです。
知らずしてサポートマークを広めていくのは困難でしょう。
だからこそまずは知ることから。
知っている人は知らない人へ、サポートマークはどんな役割があるのかを伝えていく。
伝えて行けば、知る人が増えたくさんの苦しみが笑顔に変わっていくと私は信じています。
 

体調がすぐれないにもかかわらず、取材を受けてくださった池田進さんありがとうございました。
”福祉とは線引きして区切ることのできないこと”とおっしゃっていた池田進さん。
これからたくさんの、見えない病で苦しんでいる人の力になれるようサポートマークがたくさんの人に広まるよう願っています。

てんち+プラス おひさま

特定非営利活動法人日本サポートマーク普及協会

 

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“普通”という視点からあたりまえの見え方や感じ方をくつがえす。良い社会にしたい想いをてんち+プラスに込めて

 

 

わたしたちが普段ふだんていることかんじていることはたして普通ふつうなのか…。常識じょうしきなのか…。

でんぐりがえしをするときのように天地てんちをひっくりかえし、かたかんかたえられたら、いままでにないようなあたらしい社会しゃかいになるにちがいない。

そうかんじたわたしは、『えるかんじる“普通ふつう”をくつがえそう。でんぐりがえしであたらしい視点してんを。あたらしい社会しゃかいを。』とコンセプトをかかげるサイト、てんち+プラスを開設かいせつしました。

 

“普通ふつう”ではないからと社会しゃかいから除外じょがいされた様ような、“沼ぬまの底そこに落おちる”感覚かんかくを感かんじて欲ほしくない…

はじめまして!サイト『てんち+プラス』開設者かいせつしゃのおひさまです。

『てんち+プラス』に興味きょうみをもってくださりありがとうございます。

何故なぜ、サイト『てんち+プラス』を開設かいせつ

かい しようとおもったのか…。

わたしには、障害しょうがいがいます。(本人ほんにんにはすで告知こくちみ)親子おやこともにとてもかなしくくやしいことをやまほど体験たいけんしています。

 

はじめての子育こそだてにくわ障害児しょうがいじということもあり、まったくとっていほど育児書いくじしょどおりにはいきませんでした。

いわゆる“普通ふつう”がどれだけわたしたち親子おやこくるしめているか…。

なにより、あたりまえという常識じょうしきのある社会しゃかいではわたしたち親子おやこは、かなりきづらい環境かんきょうです。

りたいのに情報じょうほうがない障害児しょうがいじ育児いくじ普通ふつう育児いくじをしていないという理由りゆう情報じょうほう除外じょがいされる…あの“ぬまそこちていく感覚かんかく“は、いまでもなおかんじています。

自分じぶんがとてもくるしかったことを、これから経験けいけんするかもしれないひとたちには、“ふかくらぬまそこ”へってしくないし、

 

笑顔えがおしあせな場所ばしょおだやかにごしてほしいとかんがえています。

 

希望きぼう溢あふれる良よい社会しゃかいへとくつがえす為ために…

 

 

『てんち+プラス』を開設かいせつしようとおもまえは、障害者しょうがいしゃ障害者家族しょうがいしゃかぞく雑誌ざっしつくるのが目標もくひょうでした。

ですが、障害者しょうがいしゃ障害者家族しょうがいしゃかぞく雑誌ざっしだけでは、“普通ふつう”に生活せいかつをしているひとたちには“なにとどかない“な…とおもうようになります。

わたしたちがそれぞれにおくっている“普通ふつう”の生活せいかつは、“あたりまえ”という常識じょうしきによってひろげられています。

ひとそれぞれかたかんかたちがえど、“あたりまえ”にある“常識じょうしき”からはずれれば、一気いっき社会しゃかいからはぶかれてしまう…。

だからこそ、障害者しょうがいしゃ雑誌ざっしではなにわらないのだとづきます。

『てんち+プラス』でかかげる『えるかんじる“普通ふつう”をくつがえそう。でんぐりがえしであたらしい視点してんを。あたらしい社会しゃかいを。』このコンセプトは、“普通ふつう”にあたりまえの常識じょうしきのもと生活せいかつをしているひとたちへ、普段ふだんていることかんじていることはたして本当ほんとうに“普通ふつう”で“常識じょうしき”なのかとづいてもらえたらなという気持きもちがめられています。

もちろん“普通ふつう”やあたりまえという“常識じょうしき”にとらわれて、社会しゃかいきづらいひとたちにもってほしい。

何気なにげなく“普通ふつう”にらしている人たち、“普通ふつう”にとらわれてきづらいひとたち

かたかんかた視点してんをくつがえすような、たくさんの情報じょうほう提供ていきょうできるつくりたいと『てんち+プラス』を開設かいせつしました。

普通ふつう”、あたりまえという“常識じょうしき”をくつがえすことは、とてもむずかしいことのようにおもいます。ですが、かたかんかたいままでとはまったちが視点してんへとくつがえせたら、そこからあたらしくそしてやさしく、希望きぼうあふれる社会しゃかいへとわるのではないかと​わたししんじています。

おひさま

 

 

 

 

 

 

てんち+プラスを一緒にやろうと思った理由

 

 

朝起きる。
夜は寝る。

行きたい幼稚園、保育園、学校に行く。
毎日登園、登校をする。

病気や怪我をしたら病院に行く。
買い物に行く。

 

公園で遊ぶ。

運動会を楽しみにする。

そんな日常は一変する障がい児育児。
だんだん成長する回りに距離をとっていって孤立する。

いろんな情報を探していろんなサイトに見ながら、どこかに答えがあるのかを探す。

ちょっとのことを愚痴りたい日もある。
体験談で安心したい日もある。
そんな色んな情報が一気に集まるプラットフォームのようなサイトがあったらと思った。

 

てんち+プラス みやP