その日は突然、やってきた。
ではなく、時間をかけながら

なんとも、祖母らしい
亡くなり方

いつも、事あるごとに
いいよ〜大丈夫よ〜と言ってくれた祖母。

始まりは2年前。

腹膜がん発症

その時も、もう危ないと。
そのように伝えられた。

食欲もなくなり、
ご飯が2週間も食べれなくて
その時も覚悟した。
でも気づいたら、がんは
完治することはないけど
一度転院をした後に見事退院した。
そして、次は骨折の手前みたいな
感じで、また入院したものの
みるみると元気になり
抗がん剤の副作用も特になく
あっという間に2年が経とうとしていた
今年の春。。

私も、次男の育児が
また一段落した3月に
久しぶりに祖母の家に行き
次男が生まれてこの1年
忙しなくて、
行けてなかった祖母との
お彼岸のお寺参りへ行った。

それが、久しぶりの大好きな時間
そして、最後の祖母とのお寺参りとなった。

祖母とは、いつも
そういうところに
一緒に行くのが大好きだったの
久しぶりに一緒にお出かけできて
とても嬉しかった。  

そして、ちょうどそれから
約一ヶ月後

突然の余命宣告の連絡を受けた。

そして、金、日、月、水と
お見舞いに行き
金曜日、日曜日は調子は悪そう
月曜日は、酸素マスク、手足も冷たい
絶対言いたかった
ありがとうを言えた日。
生まれてきてくれてありがとう
父を育ててくれてありがとう
私たちが今ここにいれるのは
祖母のおかげだと。
しあわせだと。
これを言いたかった。絶対に。
これさえ言えば、逆にもう
何も言うことはない。
私は、とても幸せだった。
この言葉に尽きるものはない。

水曜日、この日は今までで一番
元気な祖母だった
顔色もいいし、手足も暖かい。
次男を連れて行ったのだけど
とても嬉しそうだった。
きついはずなのに、あやしたり
すごく喋っていた。
看護師さんからも、私が帰った後
可愛かった〜と言っていたよと
教えてもらい、
尚更私は嬉しくなったし
あの水曜日は本当に連れて行って
良かったなと思った。

そして、金曜日の日付が変わってすぐに
祖母は容態が急変したと
私の母から連絡をもらい
誰を待つこともなく
祖母は1人病室で亡くなってしまった。

そして、今日葬儀と火葬を終えた。

祭壇にいる祖母を見て
空気にのまれたせいか
その時だけ涙が溢れた。
でも、不思議とそれ以外は
覚悟を決めてたから
泣かなかった。

私が思う
昔から思っていた
人生に影響を受ける人物のなかで
祖母、両親、夫、こども、兄

これは、昔から思っていた。
だから、いよいよ亡くなった
連絡を受けたときは
その時が来てしまったなと。

でも、私は
必ず祖母と来世も
会えると信じている。
だからこそ、
今回の祖母の死に関する
儀式も泣かなかったのかも。
しばらくあえなくなるだけだと。

そして、ようやく
楽になった人生。

祖母の人生は
なかなかなものだ。
ここでは言えないけど、
想像を絶するほど。
貧困とかそんなのではない。

だからこそ、私の想像を超える
すごい人生。
辛かったと思うから。
よく頑張ったなと。
それのほうが大きかった。
だから涙さえもあまりでなかったのかも。
楽になってくれたのなら
それが一番しあわせだから。

いつも、周りの人を優先し
自分を後回しにするところ。
私もしっかり受け継いでる。

だからこそ、来世は
自分のしあわせを追求してほしい
お互いにね。

肉体は、なくなっちゃったけど
前よりずっと近くに居てくれると
思うだけでしあわせだ。

ありがと。
孫孝行は何一つしてあげれなかったけど
でも、私がしあわせであること
それが一番の孫孝行だと思う。

私をいつも大事にしてくれた祖母
色んな事あったけれど、
本当に自慢の祖母だった。
辛いとき話を聞いてくれて、
ありがとう。
そのお陰で、私はここに居るよ。

ありがとう。