12月15日16日は
天皇杯・皇后杯を見に行ってきました(*^^*)


まず15日
1試合目!男子を観戦キラキラ


東レvs慶應義塾大学!


慶應義塾大学を応援してましたー(*´-`)



大好きな柳田さんがいるんですものラブラブ!


久しぶりに見たけどほんとーにかっこよかったドキドキ


でも、負けてしまいましたガーン


東レ相手だから仕方ないけど、柳田さんは活躍してました音符



2試合目は出待ちをしていたからほとんど見れず

3試合目は女子を見てた。


デンソーvsアクア?



デンソー勝利!

レイちゃん大活躍でしたニコニコ


男子コートでは
堺vs東海大学がやっていて、
東海大学に、私が中学1年のときに大好きだった
星野君がいて、見てしまいましたドキドキ




4試合目は
パイオニアvs上尾!
3-1でパイオニア勝利してた!







そして今日の出待ちは
雨で状況的には悪かったけど
フリーな感じだったから選手と近すぎたドキドキ



東レの出待ち。

梓さんと写真撮りました音符

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梓さん笑顔素敵(*´-`)


ミチさんとも写真撮りたかったけど
雨だったし、また明日ってことで我慢!




デンソーの出待ちは
キラさんとドキドキ

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キラさん綺麗!可愛い!



キラさん大好きなお友達は本当に幸せそうだったドキドキ


キラさんの対応は、神だと思うアップアップ






そしてその後はノリで堺!


ゴッツがいたから、写真頼んで撮ってもらいましたニコニコ

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なんかね、いきなり腰に手回されて、やっぱりチャラかったー(笑)







さて16日ですチューリップ赤


1試合目は
東レvsNECキラキラ

3-1で東レが勝利しましたチョキ


みんな調子良かったーニコニコ


リオも出てたし♪


ミチさん素敵だったラブラブ!


リィさんのレシーブも素晴らしかった(〃▽〃)




2試合目は
デンソーvsパイオニア

0-3でパイオニア勝利。



デンソー応援してたから悔しいな。



デンソー、体調不良が流行ってるみたいで、人数の少なさヤバかったよガーン

パイオニアも良かったし。






そして出待ち!


東レの出待ちは
まずリオが出てきて、サインと写真撮ってもらったニコニコ

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嬉しいなぁー




そしてそのあとは本命のミチさんドキドキ

スケジュール帳にサインと、写真を撮ってもらったぁ♪ヽ(´▽`)/

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しかもピースしてくれてるし、笑ってくれてるし、嬉しい(^O^)vドキドキ


ちなみに待ち受けにしましたニコニコ



そのあとは梓さんにサイン貰って、

絵里香さんとも写真撮れたー音符

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で、バスの送り出しのときは、
ミチさんの名前叫んで手振ってたら、普通に気付いてくれて
手振り返してくれましたニコニコ



しかも笑ってくれてた!



いや、、、
正確には、笑われたというのかもしれないけど
幸せだったー(*´-`)ドキドキ





次に、デンソーの出待ち!


キラさん、めっちゃ早く出てきて焦った(^^;)


そして、キラさん、とてつもなく体調悪そうだったのしょぼん


なのに写真撮らせて貰っちゃった。
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それでもキラさんは優しかった(;_;)




そんで、すぐ後にパイオニアが来たから
結美子さんと写真キラキラ
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可愛かったよーラブラブ



いろんな人と浮気
ごめんなさい!!






そしてその後、堺の選手が来たから
松本さんとゴッツと写真撮ったニコニコ

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ゴッツはまた手は腰でした(笑)




まぁいい記念ですにひひ







そんな感じで
2日間の天皇杯観戦は終わりました得意げ


もらったサイン

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楽しかったです!

ー緊急事態にもブレなかった出場への意志と確信ー
みんなには怪我のことは言ってません。今でも告げていない(笑)。でも骨折していたことは知らなくても、治療を受けていたことは知っていたし、テーピングをしたことがない私が五輪期間中ずっと装具をつけていたのど、いつもとは違うということは察していたと思います。だから「大丈夫ですか?」と言われれば、気にするなというのもおかしな話だから、「全然大丈夫。まあ、痛みと付き合うだけだね。」と返していました。
 
絶対に出場すると決めていたのは、もちろん出来るという確信があったからです。アンダートスは出来ていたし、ロンドンに入ってから川北コーチに個別練習に付き合ってもらい「この痛みだったら、みんなに迷惑掛けない程度のトスは上げられる」と分かった。根性論だけで言い張ったのではありません。
 
 
159㎝の竹下が、世界最強のセッターと呼ばれるようになった要因は、卓越した頭脳もさることながら、正確無比なトスワークにある。正確なトス捌きは中指、人差し指、親指の3本でボールの情報を得た上でコントロールしているからこそ可能だった。そのうちの1本が使えなくなるとすれば、パフォーマンスに影響が出ても仕方がない。
予選グループの戦いでオーバートスではなく、アンダーを多用した竹下のプレイに「34歳という年齢のせいか、ボールの下に素早く入れなくなった」と断じたバレー関係者もいた。
怪我のことは誰にも言わなかったから、そう思われても仕方がありません。確かに、序盤のアルジェリア戦、イタリア戦では怪我した後初めてコートに入ったから、自分の身体がどう動くのか予測できない部分はありました。フライングレシーブで左手を出せば上げられたボールに、右手を出したこともあったし。トスもだいぶブレていたと思う。
 
でもそんなトスを(木村)沙織や江畑(幸子)、新鍋(理沙)、迫田(さおり)などの若いアタッカー陣が、必死に打とうとしているんですよ。そんな彼女たちの必死の形相に、今度はこっちが勇気づけられた。だから、3戦目くらいからは、自分が骨折していることも忘れてしまっていたし、とにかく目の前の1戦に勝って、メダルに辿り着くことしか頭になかった。
 
怪我をしているのを思い出すのは、試合が終わって装具を外すとき。指が腫れてしまっているから、なかなか外せない。外さないと新しいものに取り替えられないじゃないですか。若宮トレーナーに涙目でギャアギャア言ってました(笑)。
決勝ラウンドの前だったかな、眞鍋監督に怪我のことをほかの選手にも伝えようと言われたんです。私が骨折を押してコートに立っていることを伝えれば、チームにとってもプラスに作用するって。
でも、私は「絶対に伝えたくない、言っても何にもならない」と言い張った。私は今まで「小さい」というレッテルを貼られながらもナニクソ精神で必死にやってきたし、基本的に人に弱みを見せるのも嫌い。骨折しようが指がもげようが、これまでと同じパフォーマンスを出せると考えている以上、今さら事実を告げる必要はないと考えたんです。
でも眞鍋監督は、その精神こそがチームを一つにすると一歩も引かない。さんざん言い合った結果、「伝えることでチームがより力を出せるなら、眞鍋さんの判断にお任せします」と私が折れた。でも2~3日経って、やっぱり違うと思い、監督にまた「言わないで下さい」と頼みに行きました。「なんだ、お前、俺に任せるって言ったじゃないか」と呆れられましたけど。
 
私は、今までやってきたことを五輪でも当たり前のようにやって勝ちたかった。怪我を告げてみんなのモチベーションをことさらに煽らなくても、この3年半、眞鍋さんの下でやってきた練習の成果を五輪の舞台で出せれば、メダルに辿り着けると考えていたんです。だから、この期に及んで私がキーマンになるのは違うと思った。
 
得たものもあるんです。骨折を隠してプレイし続けたせいか、不思議な感覚に出会えました。確かに指1本が使えなければパフォーマンスは落ちるんでしょうけど、とにかくトスもレシーブも正確に、正確に、と神経をこれまでになく集中させたからか、指2本でも3本と同じくらいの情報を取ることが出来たんです。新しい能力に出会えたというんですかね、自分でもびっくりです。やっぱり精神は身体をコントロールできると確信しました。
 
それまで自分を追い込めたのは、人の思いに応えたかったからかな。眞鍋監督は、骨折が分かっていても使い続けてくれた。この人の信頼に応えるためなら、万が一、試合中に指がすっ飛んでしまっても、すぐにつけてもらってコートに立つと決めていたし、コーチ陣のきめ細かな心配りも私を奮い立たせてくれた。
そして顔を真っ赤にして私の乱れたトスを打ち切ろうとしてくれた仲間の思いがけない、痛みを忘れさせてくれたんです。私はみんなに助けられた。そういうチームだったからこそ、銅メダルが獲れたんだと思います。
 
 
竹下は当初、骨折の事実を公にすることを頑なに拒んだ。美談に取られたり、チームとしての快挙が自分ひとりへの注目にすり替わってしまうことを嫌ったからである。
だが、骨折しながらも戦い続けたその魂に凄まじい“日の丸魂”を見た私は、彼女にこの事実を公表すべきだと説得し続けた。五輪選手は一様に「日の丸の重さ」を口にする。
その観念的な言葉を具現化したのが、まさに竹下のロンドン五輪での姿勢だと考えたからだ。竹下の骨折を知っていたのは監督とコーチ陣だけだが、選手たちは竹下の姿に確かに魂を感じ取っていた

ある選手は言う。
「テン(竹下)さんは口にしないけど、みんな薄々は気づいていました。骨折しても黙ってコートに立ち続ける姿に、五輪で戦うけとの意味を教えてもらいました。竹下魂はみんなに乗り移っていたと思います。」
 

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numberの竹下さんの記事を載せてほしいという人がいたので、載せますニコニコ
 
 
良かったら読んでみてください音符
 
 
ただきっと読みにくいです。
 
すみません
 

五輪ではなく他の国際大会だったら、コートには立っていなかったと思います。でも、ロンドン五輪が目の前に迫っている以上、私の頭の中に「出場しない」という選択肢はなかった。指を1本失っても、残りの指で何とかしてやるという思いしかありませんでした。
 
 
 
日本女子バレーが28年ぶりに銅メダルを獲得し、お家芸の復活を予感させる快挙を遂げてから2ヶ月あまり。あの五輪で平均身長を10㎝近くも上回る強豪国を打ち破った裏には、重大な事実が隠されていた。
司令塔の竹下佳江は、セッターの命とも左人差し指を骨折しながら、大会期間中ずっとトスを上げ続けていたのだ。指を骨折しながらレシーブし、ブロックに付き、トスを上げるのは常識的には不可能である。しかし、竹下はコートに立ち続けた。
指を骨折したのは五輪直前のスイス合宿のときでした。今回のチーム独特の方法とも言える、コーチがノーマークで打つレシーブ練習をしていたんです。だいぶ前に飛んできたボールをレシーブしようとしていたんですが、ボールが予想外のバウンドになって左手の人差し指に当たった。
ビリッと全身に痛みが走ったので、「あ、やっちゃったな」と思ったけど、痛そうな顔をしてしまうと、打っていたコーチが心配すると思い、何事もなかったように練習を抜けました。私はこれまで自分で練習を抜けたことがなかったから、コーチ陣はすぐに「何かあったな」と思ったようですけど。
 
若宮(啓司)トレーナーには「突き指かも知れない」と伝え、対症療法をしてもらったんですが、練習が終わって近づいてきた眞鍋(政義)監督に「病院に行けよ」と言われました。でも、私は行かないと言い張ったんです。自分では怪しいのが分かっているから、病院に行って事実を告げられるのが嫌だった。
監督は「絶対に行け」と言う。でも病院に行って怪我の状態がはっきりしても、コートに立つことに変わりはないから、行っても行かなくても同じだと私も言い張った。押し問答をしていると、トレーナーやチームドクターが「やるにしても、怪我の状態がはっきり分かった法が対処の仕方がある」と言うので、病院に行くことに同意しました。
 
病院に向かう前、監督には「指がどうなっていようと、私はやりますからね」と捨て台詞を吐きましたけどね(笑)
 
病院にはドクターと一緒に行きました。痛みは酷かったけど、それほど腫れてはいなかったから、もしかしたらヒビが入っているかも知れないけど、痛みは我慢できるのでコートには立てるって考えていたんです。
でもレントゲンの画像を見て、スイスのドクターとウチのドクターが、なにやら難しい顔をしている。そして言われたのが、「これは人差し指第一関節付近の骨折だね」って。
骨折と告げられたからって、「ああ、そうですか。悔しいけどコートに立つことは出来ません」と言うわけにはいかない。私たちは、ロンドン五輪で勝つために考えられる練習をすべてこなして来た。ここに来て、私の事情でチームの戦術や戦略を狂わすことは出来ないと思ったんです。だから、怪我を怪我と認めないで、この指がどうなろうと私はやり切るという考えしかなかった。
 
 
 
眞鍋監督は、そのときの竹下の様子をこう述懐する。
「彼女に、五輪に掛ける凄まじい執念を見ました。僕はセッター出身だから分かるけど、あんな怪我だったら僕ならコートに立てない。でも、彼女は骨折という事実を認めようとしないんです。精神の強さで、怪我をコントロールしようとしていた。僕はそんな彼女に五輪を託す決断をしました」
不幸中の幸いだったのは、骨は折れているけどズレていないことでした。ただ、ちょっとでも衝撃を与えればズレる可能性があり、そうなったら手術するしかない。
でもコートに立つ以上、必ず衝撃を受けることになる。だから、人差し指に添え木を当て、その上を石膏で固めることにしたんです。毎日、その石膏を作ってくれた若宮トレーナーは本当に大変だったと思う。私も本番前はこんな状態になってしまったから気持ちが敏感になっていたし、指先が命ということもあって、石膏の装具をつけるたびに、「ここが違う、この部分に違和感がある」と細かい注文をつけてましたから。
今も思えば、指の腫れ具合に対応し、私の感覚に沿った装具を作ってくれた若宮トレーナーの技術力に感謝です。これぞまさに、ニッポンの技術力(笑)
 
驚かされたのは、彼の装具技術だけではありません。安保(澄)コーチや川北(元)コーチにも尽力してもらいました。骨折を早く治すため、ロンドン入りしてからマルチサポートハウス内にある酸素カプセルの予約を入れてくれ、それが練習に差し支えないように1分の無駄もないスケジュールを組んでくれた。私が練習に出られなくても、他の選手に迷惑がかからないような練習法を考えてくれたり。リスクマネージメントというか、突発的な出来事への対処法が見事だった。
 
スイスの病院に行ってから、3日間は練習を休みました。実はこの3日間は、ロンドンに移動する前の最後の総仕上げをする時期だったからコートに立ちたかった。だけど、指があまりにも痛くて、このままプレイしても却ってみんなに迷惑を掛けると考え、休むことにしたんです。