ー緊急事態にもブレなかった出場への意志と確信ー
みんなには怪我のことは言ってません。今でも告げていない(笑)。でも骨折していたことは知らなくても、治療を受けていたことは知っていたし、テーピングをしたことがない私が五輪期間中ずっと装具をつけていたのど、いつもとは違うということは察していたと思います。だから「大丈夫ですか?」と言われれば、気にするなというのもおかしな話だから、「全然大丈夫。まあ、痛みと付き合うだけだね。」と返していました。
 
絶対に出場すると決めていたのは、もちろん出来るという確信があったからです。アンダートスは出来ていたし、ロンドンに入ってから川北コーチに個別練習に付き合ってもらい「この痛みだったら、みんなに迷惑掛けない程度のトスは上げられる」と分かった。根性論だけで言い張ったのではありません。
 
 
159㎝の竹下が、世界最強のセッターと呼ばれるようになった要因は、卓越した頭脳もさることながら、正確無比なトスワークにある。正確なトス捌きは中指、人差し指、親指の3本でボールの情報を得た上でコントロールしているからこそ可能だった。そのうちの1本が使えなくなるとすれば、パフォーマンスに影響が出ても仕方がない。
予選グループの戦いでオーバートスではなく、アンダーを多用した竹下のプレイに「34歳という年齢のせいか、ボールの下に素早く入れなくなった」と断じたバレー関係者もいた。
怪我のことは誰にも言わなかったから、そう思われても仕方がありません。確かに、序盤のアルジェリア戦、イタリア戦では怪我した後初めてコートに入ったから、自分の身体がどう動くのか予測できない部分はありました。フライングレシーブで左手を出せば上げられたボールに、右手を出したこともあったし。トスもだいぶブレていたと思う。
 
でもそんなトスを(木村)沙織や江畑(幸子)、新鍋(理沙)、迫田(さおり)などの若いアタッカー陣が、必死に打とうとしているんですよ。そんな彼女たちの必死の形相に、今度はこっちが勇気づけられた。だから、3戦目くらいからは、自分が骨折していることも忘れてしまっていたし、とにかく目の前の1戦に勝って、メダルに辿り着くことしか頭になかった。
 
怪我をしているのを思い出すのは、試合が終わって装具を外すとき。指が腫れてしまっているから、なかなか外せない。外さないと新しいものに取り替えられないじゃないですか。若宮トレーナーに涙目でギャアギャア言ってました(笑)。
決勝ラウンドの前だったかな、眞鍋監督に怪我のことをほかの選手にも伝えようと言われたんです。私が骨折を押してコートに立っていることを伝えれば、チームにとってもプラスに作用するって。
でも、私は「絶対に伝えたくない、言っても何にもならない」と言い張った。私は今まで「小さい」というレッテルを貼られながらもナニクソ精神で必死にやってきたし、基本的に人に弱みを見せるのも嫌い。骨折しようが指がもげようが、これまでと同じパフォーマンスを出せると考えている以上、今さら事実を告げる必要はないと考えたんです。
でも眞鍋監督は、その精神こそがチームを一つにすると一歩も引かない。さんざん言い合った結果、「伝えることでチームがより力を出せるなら、眞鍋さんの判断にお任せします」と私が折れた。でも2~3日経って、やっぱり違うと思い、監督にまた「言わないで下さい」と頼みに行きました。「なんだ、お前、俺に任せるって言ったじゃないか」と呆れられましたけど。
 
私は、今までやってきたことを五輪でも当たり前のようにやって勝ちたかった。怪我を告げてみんなのモチベーションをことさらに煽らなくても、この3年半、眞鍋さんの下でやってきた練習の成果を五輪の舞台で出せれば、メダルに辿り着けると考えていたんです。だから、この期に及んで私がキーマンになるのは違うと思った。
 
得たものもあるんです。骨折を隠してプレイし続けたせいか、不思議な感覚に出会えました。確かに指1本が使えなければパフォーマンスは落ちるんでしょうけど、とにかくトスもレシーブも正確に、正確に、と神経をこれまでになく集中させたからか、指2本でも3本と同じくらいの情報を取ることが出来たんです。新しい能力に出会えたというんですかね、自分でもびっくりです。やっぱり精神は身体をコントロールできると確信しました。
 
それまで自分を追い込めたのは、人の思いに応えたかったからかな。眞鍋監督は、骨折が分かっていても使い続けてくれた。この人の信頼に応えるためなら、万が一、試合中に指がすっ飛んでしまっても、すぐにつけてもらってコートに立つと決めていたし、コーチ陣のきめ細かな心配りも私を奮い立たせてくれた。
そして顔を真っ赤にして私の乱れたトスを打ち切ろうとしてくれた仲間の思いがけない、痛みを忘れさせてくれたんです。私はみんなに助けられた。そういうチームだったからこそ、銅メダルが獲れたんだと思います。
 
 
竹下は当初、骨折の事実を公にすることを頑なに拒んだ。美談に取られたり、チームとしての快挙が自分ひとりへの注目にすり替わってしまうことを嫌ったからである。
だが、骨折しながらも戦い続けたその魂に凄まじい“日の丸魂”を見た私は、彼女にこの事実を公表すべきだと説得し続けた。五輪選手は一様に「日の丸の重さ」を口にする。
その観念的な言葉を具現化したのが、まさに竹下のロンドン五輪での姿勢だと考えたからだ。竹下の骨折を知っていたのは監督とコーチ陣だけだが、選手たちは竹下の姿に確かに魂を感じ取っていた

ある選手は言う。
「テン(竹下)さんは口にしないけど、みんな薄々は気づいていました。骨折しても黙ってコートに立ち続ける姿に、五輪で戦うけとの意味を教えてもらいました。竹下魂はみんなに乗り移っていたと思います。」
 

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